小五郎に彼女ができたらしい。
もう日が暮れそうだ。英理は丈の広がったスカートをバサっと両足でさばきながら勢いよく歩いていた。
英理は考え事をするときは特に歩くのが早かった。面倒な考え事をするときは歩きながらすると不思議と解決することが多い気がしている。
びゅうびゅうと風を切りながら塾からの帰り道を少し遠回りしていた。門限と速度をざっくりと計算して、ちょうどよい道を選んで脚を思い切り動かした。
夏休み中だというのに例の噂は導火線のように広まり、すぐに英理の耳にも入ってきた。
小五郎と英理は幼稚園、小学校とずっと一緒に過ごしていて、お互いの家も近くだったから家族のような、空気のような、姉弟のような存在だった。
そんな間柄だったから中学生になっても親しい関係特有の喧嘩のようなじゃれ合いばかりをしていて、周りから言わせればまるで夫婦だと、よくからかわれていた。
その「夫婦」という言葉に妙にくすぐったい照れくささがあり、囃し立てる周りに対して精一杯の否定を繰り返していくうちに、小五郎に対して素直に振る舞うということを英理はどんどん忘れていったのだった。
――こんな可愛げのない性格になったのは元を正せばアイツのせいよ。
同じ高校に進学したものの、二人はクラスも一緒になることはなく、共通の話題も少なくなり顔を合わせる機会も徐々に減っていった。
一緒に登校することもなくなり、お互いの家を行き来して食事をすることも、年間の様々な行事を一緒にすることも、自然と無くなっていた。
小五郎は高校に入ってから人が変わったようだと英理は思う。以前はいい加減な気安さがあったのに、隙がなくなり話しかけづらい雰囲気になってしまった。
はじめは子ども時代からの変化に戸惑っていた英理だが、高校三年にもなると、異性の幼馴染なんてこんなものか、少し大人になったのかもしれない。そんな冷めた気持ちで納得するようになる。
それなのに。中学校からの共通の知り合いなど、今回の小五郎の異性問題について英理に問いただすのだ。
いったい何があったのだ。どうして別れたのか。そう言って騒がれた。
小五郎と疎遠になった今になっても、まるで当事者のように噂に巻き込まれることに英理は納得がいかなかった。
本人に聞けばいいのに。私は何も知らないと英理が言うと、英理が考えていたのと同じように高校に入ってからの小五郎は、近寄りがたくて気軽に聞きにくいのだと皆は言った。
まったくバカバカしいけれど……
まるでこちらが振られたみたい。
そんな高校生活最後の夏休みを、決まりの悪い気持ちで過ごさせる迷惑の元凶である小五郎に、だんだんと憎らしさがこみ上げてきた。
こんこんと心の中を整理していると、あっという間に日も陰り家が見えてくる。
いつものように近所の公園を通り抜けて近道をしようとすると、普段は閑散とした公園に珍しく先客がいるようで、何やらベンチに座って話し込んでいるようだった。
聞き慣れた声とシルエット。長年の付き合いだ。遠くからでも小五郎だとすぐにわかった。
よく見るともう一人女性が座っているらしい。噂の彼女かもしれないと反射的に目をそらしそうになる自分に英理はハッとした。
――なんで目なんか逸らさなきゃならないの!
英理は強い気持ちを奮い立たせる。
(強い気持ち?なぜ?)
それにしても。何もこんなところで……
英理が公園を通り抜けるこの近道を習慣的に使っていることを知りながら、ここでデートをするなど、信じられないことだった。
なんの変哲もない小さな砂場と滑り台にブランコがある小ぢんまりとした公園。
小五郎と英理は幼い頃からここで遊んでいたし、小学校、中学校時代をともに過ごし、ここに腰をかけて色々な話をしたものだ。
やる気のない先生への悪口やクラス内のイザコザのこと。柔道部の練習のキツさや無意味なシゴキに対する愚痴……
今にして思えば弱音が多かった気がするのは、ここなら誰にも聞かれずに話すことができたからかもしれない。
当時生徒会長を務め優等生扱いされていた英理と、何かと問題児であった小五郎とは一見相容れないようであるが、意外と根底部分の考えがよく似ていた。
親にも話したことはない秘密の時間を共有することで、仲間とか、同志とか、そういう類のものに私たちの関係は昇華しつつあると当時英理は思っていた。
そんなたくさんの思い出のあるこの場所は、英理にとって特別な場所だったのだ。
……それなのに。
小五郎の遠慮のない無神経さに英理は胸がムカついた。
ベンチに腰掛ける二人に冷たい視線を向けると、小五郎の読めない目の色とぶつかる。
「よう」
そんな何でもない返事が英理の神経を苛立たせる。
顔も見たくない。声すら聞きたくないと顔を歪ませて英理は口を開く。
「やめなさいよ、こんなところで。周りの迷惑よ」
周りには誰一人居ないのに、そんな見当はずれの言葉が口をついて出た。
英理の声に、連れの女が振り向く。
髪が短くて切れ長の美しい瞳に見つめられて英理は息を飲んだ。見るからに年上の女性。
「こんにちは」
低く落ち着いた声が耳に静かに響いた。二、三歳年上か、もしかしたら二十歳超えているかもしれない。
「……こんにちは」
「初めまして。小五郎君のお友達?」
「ええと、はい。腐った縁の友達です」
「本当だよな。腐れ縁もここまでくると自慢になるよな」
ニヤつく小五郎の顔に、一発ぶちかましてやりたい気持ちをこらえて英理はニッコリ微笑んだ。
「聞いたわよ。よかったわね。あんたみたいのでも相手してくれる貴重な相手なんだから、大事にしなさいよ」
――この苛立ちの正体はなんだろう。
よくわからない噂に巻き込まれて迷惑を被ったことに対するものだろうか。
わからないことで、ますます苛立ちの色は濃くなっていく。
英理は混乱して走り出したい気持ちになるが、それを堪えて、くるりと二人に背を向けると、ゆっくりと歩き出した。
英理の胸の内は少しずつ疑問が浮かぶ。
――まさか。
あのことは何の関係もないわよね。
英理の脳裏に二週間前の出来事がよぎった。