一万回のキス ~高校生編~ 4




 学園祭の後は受験一色で学生生活を楽しむ余裕もなく、何ヶ月もの時がまばたきをするうちに過ぎ去っていった。

 勉強に打ち込んでいるといいことがたくさんある。
 成績が維持できるのはもちろんのことだが、余計なことを除外できるのだ。

 英理は自分の集中力に感謝しながら、黙々とサナギの中に閉じこもっていった。




 そして三月になり、卒業式を迎えた。
 ピンと張り詰めた空気の体育館で、英理は優等生顔をしてソツのない答辞を読んだ。

 英理は危なげなく第一志望の大学に合格し、安堵の気持ちでこの日を過ごせることに素直に喜びを感じていた。

 そういえば、あれからめっきり視界に入らなくなった小五郎のことは、母からの伝聞で志望していた米花大学に合格したと聞き、人知れずホッとしたのだ。

 しかし一方で、恋も進路も手に入れた小五郎が嫉ましく、おめでとうさえ言えない自分に影が差していた。

 壇上から降りるときに小五郎のいるクラスの塊と反対の方を向いて舞台から降りる。ほとんど無意識にだ。

 英理はあれから、小五郎とまともに顔を見ることさえできないでいるのだった。



 クラスのみんなで写真を撮ったり話し込んだり。あっという間に夕方になり、帰路の途中であの公園を通りかかった。

 ここへも、もう来ることはないだろう……

 卒業式の感傷的な気分を引きずり、少し涙ぐみながら公園内を歩いた。

 子供達の姿はない。近所に大きめの公園ができてから、ここで遊ぶ子供を見ることは滅多になかった。

 「遅えじゃん」

 後ろから話しかけられ、英理はぴたりと固まる。ゆっくりと振り向くと制服姿の小五郎が英理を見ていた。

 ああ。この姿も今日で見納めかもしれない。最後というキーワードに、とことん弱い一日だと英理は涙腺が緩くなる。

 「……今日は一人なわけ?」

 「悪いかよ」

 「別に」

 久しぶりに近くで見る小五郎は少しだけ背が伸びてグッと大人っぽく見えた。

 でもそう感じるのは外見からではなく、内面の変化からかもしれないと思うと英理は胸の奥が音を立てて軋んだ。

 「お前、東都大に受かったんだって?やっぱすげーな……」

 「あ、ありがと。アンタも志望のとこ受かったんでしょ? よかったわね」

 日も暮れ始めて、頬に触れる風はまだまだ冷たくてピリピリと痛い。
 鼻が冷たくて、英理はくしゃみを一つした。

 「……留学はやめたのか」

 「とっくに断ったわ」

 英理でさえほとんど忘れかけている話だった。

 「ひとこと言えよ」

 「知りたかった?」

 挑戦的な物言いで微笑む。小五郎の顔が怖かったからだ。
 不安な証拠だと英理は自分でわかっていた。

 「俺がどうとか、言ってたじゃねーか。気になるじゃん」

 「あんなの嘘よ。留学なんてもともと興味なかったの」

 「……なんだって?」

 不機嫌そうに小五郎は英理を見る。

 「あんなことなんで言ったのか、自分でもわかんない。もともと行くつもりなんてなかったの。アンタに自慢したかっただけかもしれない」

 なんて可愛げのない女。でもこれが私なのだ。
 小五郎と共に形成されてきたこれまでの私。

 そしていま、私たちの関係は終焉を迎えようとしていると、英理はハッキリと感じていた。
 私は失うのだ。好きにさえならなければ、一生の付き合いになっただろう男を。

 小五郎に会うのは今日で最後になるかもしれない。そう思うと本当に涙が出そうで、英理は落日の空を見上げた。

 まだ、好きなのだ。馬鹿みたいに。

 自分の想いのしぶとさに呆れて、英理は爆弾を抱えたまま、どうしようもなく息が苦しくて大きく大きく息を吸った。


 「……俺さ、下宿するんだ。そんな離れたとこじゃねーから、遊びに来いよ」

 「アンタ馬鹿じゃないの。そんなとこ行けるわけないじゃない……」

 この男は本当に自分をただの幼馴染だとしか思っていないのだ。
 英理にはそれが悔しくて、辛くて、寂しかった。

 「ごちゃごちゃ言わずに来ればいいじゃんか」

 「だから、無理無理。無理だって……」

 あまりの非常識な申し出に、英理の顔に苦い笑いが浮かぶ。

 年上の彼女というものはそんなに寛容なものなのか。そういう見下すようなやり方はフェアじゃないし気に入らない。

 私がもし今ここで想いを告げたら、何が変わるだろうか。小五郎はどんな顔をするだろうか。

 もう会うこともないのなら、いっそのこと想いを告げてしまうのもいいかもしれない。

 思いつきでヤケになった英理は、ゆっくりと口を開いた。

 

 

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