ふと通りかかったのは、米花商店街の外れにあるゲームセンター。学生達がたむろする店で、明らかに浮いているキャリアウーマンは目を引いた。
見慣れた髪型。あまりにこの場が似合わないが、見間違うはずもない。……俺の妻だ。
英理が夢中になっているのは、店頭にあるクレーンゲーム。囲いにへばりついて前から横から覗き込み、真剣な様子でボタンを操作している。そして肩を落とし、小銭を入れ、またボタンを操作しはじめている……。何が目当てか知らんが、慣れないゲームに苦戦しているのだろう。俺はその珍しい様子がおかしくてしばらく眺めていたのだが、ムキになった顔で財布から一万円札を取り出すのが見えたところで、流石に哀れに思い、声をかけた。
「ど、どうしてこんなところ、に?」
「ソリャこっちのセリフだよ。 何やってんだこんなトコロで……声裏返ってんぞ」
「だっ誰が!」
英理は突然背後から呼びかけられ、ビクゥッと面白いくらいに身体を強張らせていた。俺は笑いを堪えるのに必死だ。
「ここはゲームをするところで、あなたのお好きな大人の遊技場じゃなくてよ?」
「知ってるよ。で、何が欲しい」
「え?」
「俺こーゆーの得意なの、知ってんだろ。何が欲しい? って、一種類しかねえな……。ン?」
「あ、いやその、こっ、これは…」
「……『眠りの小五郎』マスコット? ……あー、こりゃ確か、トイメーカーのご令嬢が俺のファンだっつって、頼み込まれて作ったヤツだ。あったあった!そんなこと!」
「ふーん。あなたのファンねぇ……」
「結構まとまった金になってよ。で、お前はコレが欲しくて悪戦苦闘してたってワケ……なのか?」
「ち、違うの」
「フーン……そんなへばり付いてまで、欲しいのかよ。憎っくき亭主のぬいぐるみがねぇ……」
「……五寸釘用にいいかと思って♡」
「こ、怖えよ!バカ!」
「あら、冗談に決まってるでしょ」
「お前が言うとシャレに聞こえねーんだよ!」
ちゃりん、と小銭を入れると、クレーンゲームはポップな音を立てて起動した。この手のゲームの鉄則は知っている。ムリをせず、取れるものから少しずつ動かしていく。楽勝、楽勝。
……そういや昔も、よくやったなぁ。お固い優等生様が目をキラキラさせて「すごーい!」なんて言うもんだから得意になって、よく連れてきたっけ。
「あ、すごい! 取れたわ!」
昔みたいな華やいだ声が上がり、俺は傷もない鼻が痒くなってきてポリポリと掻いた。
がこん! と落ちてきた目当ての品。
英理はまるで飼い猫を相手にするときのような、ウットリした表情で戦利品を拾い上げた。
「何だよ、その顔……」
「実物と違って可愛いわ……よくできてる」
「違ってよかったよ。それ、どうするつもりだ?」
「蘭に頼まれたのよ」
「嘘をつけ。ウチにはもうあるよ。棚にぷらぷら吊されてんだから。持って帰れよ」
「……くれるの?」
「お前に取ったんだから、やるよ。そんな嬉しそーな顔しちゃってよ……変わんねーな」
「……好きだから」
「へ?」
「ぬいぐるみが、好きなの。知ってるでしょう?」
「あ、そう……そっちね」
「……ところで?そのファンだっていうご令嬢とやらは、あなたのマスコットをどう使うのかしらね?肌身離さず持ち歩いて、抱きしめたり、一緒の布団に入ったりするの?……他人の亭主がモデルになっているぬいぐるみを?なによそれ。私だってね──」
ちゅ……♡
「うんと可愛がってあげるんだから……」
「……」
「もう、ウチの子」
「……」
「何よ。そんな目で見ても……返さないわ」
「いや……ウン、俺が悪かった」
「別にあなたに怒ってるわけじゃ」
「悪かったから……それ、実物にも、してくれ」
「はい?」
「さあ、どっからでも。ぶちゅっと」
「そんな恥ずかしいことできるわけないでしょ!」
「はぁ?しろよ。ぶちゅっと」
「いっ、いやよ!」
「なんでだよっ!」
亭主の前で亭主の姿をしたぬいぐるみにキスすることは恥ずかしくないのか……?
よくわからん……。
ゲーセンの前で学生のようにやりあう自分らにハッと気づき、周囲の視線を散らすように大きく咳払いをした。こんなの知り合いに見られでもしたら、叶わない。
「……本当によくできてる。かわいい」
英理はぬいぐるみを見ながら、もう一度そう言った。俺は英理の手に大事そうに抱かれた分身を見て、まあ……そんな悪い気もしねーか、などと満更でもなく思うのだった。