寝顔の反芻

 

 




「……お前。何、ニタニタしてんだよ」
「きゃっ!」
 驚いて、手に持っていたスマホを落とした。薄照明のシーツの上に、それは落ちた。
「あ、あなた起きてたの!?」
 まっ裸の夫は、さっきまで隣でいびきをかいて寝ていた。……そのはずだった。その騒音が止んだのに気づかないほど、私は画面に熱中していたらしい。
「画面がチラッチラ、チラッチラ、まぶしーからよぉ」
「嘘ばっかり! いつもそんなの気にせず、グースカと寝てるくせに!」
「気持ちわりーぞ~。その、ニタニタ顔。何見てたんだよ」
「仕事! 仕事のメールよ」
 咄嗟についた嘘にヒヤヒヤしながら、シーツの上に落ちている携帯電話に視線を落とした。液晶部が下向きに伏せられ、光がわずかに漏れている。
 おちる沈黙と緊張──。カルタ取りみたいに、私たちはいっせいに手を伸ばした。先に指が触れたのは、私。
 だが、小五郎の大きな手が私の手ごと、それを包んでしまった。肝心な証拠が取り出せない。
「……何よ。見たって何もないわよ」
「センセー、よっぽどお好きなんですねぇ、おシゴトが」
「ちょっと眠れなかっただけよ」
「それにしちゃあ、随分とだらしねー顔してたけど?」
「あなたじゃあるまいし!」
「ほうほう。なるほどねェ……」
 さして興味もなさそうに、もう片手で顎を撫でている彼。飄々としているようで、重ねられた手の力強さでわかってしまう。言葉を交わしていくうちに、彼がだんだんと、苛立っていくのが。
「気になるの?」
 私は空いた手で、羽織ったシャツのはだけそうな胸元を隠していた。それを彼が据わった目で見ていたので、しまった、と思った。これじゃあまるで、隠し事をしている仕草のようだ。冷や汗が垂れた。
「……どこのヤローだよ。あんな、のぼせ顔、お前にさせんの」
「え?」
「あれはメールじゃねえな。写真だ。俳優か? 野球選手か? いい年して乙女かっつの。バカか」
「そんな顔、私してた?」
「……してたよ」
 それが本当だとしたら……。ヤダ。照れ笑いを浮かべていると手を掴まれ、身体が後ろに倒された。大きな上半身が迫り、厚い胸板が、情熱的に胸の膨らみを潰した。
「もう、やだ、重い。フフ……、鼻息がくすぐったい」
「ウルセぇな」
「野球選手かって? そうねまあ……、そんなとこかしら。眠れないときによく見るのよ。好きひとがいてね」
「……へーへー。そーですか」
「昔から、大好きなの」
 私はまっすぐに、彼の目を見つめた。
 ──いいか。目をよく見ろ。被疑者は、目までは嘘がつけねーよ。
 どこの迷刑事さんの、アドバイスだったかしらね? いま、彼の苛ついた瞳に、ほのかに切なげな色が滲んでいる。まったく、同じだ。私も、彼がアイドルに熱を上げるのを見るとき、こんな目をしている。
「アラ。やきもち?」
「このヤロー……。もういい。黙れっつの」
「あ、こら!」
 絡みもつれ合ううちに、いつの間にか、携帯電話はどこかへ行ってしまった。あれは3分放っておくと、自動ロックが掛かるのだ。逃げた証拠。安堵感と罪悪感に、身体が熱くなった。それを発情だと、勘違いされないといいけれど……。私が眠れないときに眺めるのが、彼の寝顔であることに、本人が気づくのはいつだろう。