無自覚ラブシーン

無自覚ラブシーン







「10分間の休憩にしましょう!」

英理の凛とした声が会議室に響いた。


ここは、英理が顧問弁護士を務めている企業の会議室だ。
休憩、の声を聞いて役員と担当社員らが立ち上がり、ザワザワとした声が上がり始めた。
オレは妻に駆り出されて、ご意見番的な美味しい役割で、気分よく座っていた。『名探偵毛利小五郎』の名前が勝手に働いてくれる、実に楽で素晴らしい仕事だ。

英理に背を向けて身体を大きく伸ばしながら、あたりを見渡す。
この部屋には全部で20名ほどいるが、業界の体質なのか役員は全員男だ。野郎ばかりでむさ苦しく、目が安らぐ場所がない。
紅一点は、会議室の一番目立つ席に偉そうに座る、オレの妻。
もちろん、わざわざ夫婦とは名乗ってはいない。あくまで今日は弁護士に雇われた私立探偵、という立場でココにいる。


カチャ……


ふと、控えめな音がした。
会議室にいる男が1人、また1人とキョトンとした顔でコチラを見てくる。
正確に言えば、視線達はオレの横を通り抜けて、後ろの女に向けられていた。
オレはつられて振り返る。

偉そうな顧問弁護士さんがメガネを机に置いて上を向き、指で目頭を揉んでいた。
2時間を超える会議だ。そりゃ疲労も溜まるだろう。
英理は視線に気がついて、不思議そうな顔でオレを見た。

「なに?」

「いや……」

メガネを外した顔を久しぶりに見た。
などと、まさかこの場では言えまい。
さっきまで、厳しい顔で経営陣の尻を叩いていた、鬼の形相はどこへやら。
メガネを外した妻の顔は、なんというか。

「変な人」

英理は怪訝そうな顔でオレを見たあと、スーツのポケットから小さい布を取り出し、のんきにレンズを拭き始めた。
背中から、オレを飛び越えていく視線。
熱のこもった、トキメキを感じるような、嫌な気配。
オレは思わずそれを遮るように、英理の前に立ち壁になった。

「なによ」

英理を見下ろした。フキフキ、とこちらを見もせずに間抜けなツラで拭いている。
……いや、認めよう。妻はどちらかといえば、美人の部類に入る顔をしている。
性格はキツイし、やかましいし、可愛げなど全くないのだが。
それと顔の造りとは、別の話だ。

メガネは、もはや英理の顔の一部。
お堅いスーツなんかより、もっとプライベートな素顔を隠し、その愛らしい本質を匿っている。
オレは恥ずかしげもなく、そう思う。

そんなもの。
知るのは極限られた人間であるべきだ。
公の場で、大勢が見ている前で、無防備に晒していいものではない。

ああそうだ。
男の独占欲ってヤツだよ。可愛いだろう?

「どんくせーな。いつまでやってんだ」
「はぁ?」

英理は訝しむようにオレを見上げた。
自然と、動かしていた手が止まる。
オレはイラッとして、英理の手からメガネを奪った。

「貸せよ」
「ちょっと! なに!」
「いいから、そっちも貸せ」
「意味がわからないわ」

渋々と渡されたメガネ拭きで、オレは素早く汚れを拭き取る。こんなものは、やろうと思えば一瞬で済む話だ。

「ホラよ」

綺麗になったメガネを開いた状態で差し出してやる。
すると英理は「もう!」と呆れながら条件反射のように目をつぶって、顔を突き出してきた。
ふざけているのか。
あるいは無意識なのか。

男が女のメガネを外してやるシチュエーションは、よくあるだろう。
例えばキスのとき。

それは習慣みたいなもんだ。
外されたメガネを男に掛けてもらうことが癖になっています、と語っているような、自然な妻の表情を見て、オレは呆れる。

……なんつー女だ。
背中に関心が集まって、チクチクと痒くなってくる。
耳あてのカーブをそっと耳に引っ掛けた。
ピアスとメガネの金具をキラリと光らせ、女王様はゆっくりと目を開ける。

これも一つのラブシーンみたいだな。

男たちの物羨み気な視線を背負ってイイ気分になりながら、オレは思った。








おわり