男子高校生の途方もない戦い




高校3年生の夏休み。
お袋が言うには、今年の夏は猛暑らしい。けど俺は、夏なんて来てみれば毎年おんなじようなモンだと思う。ジメッと纏わりつくような暑さに、体力をジリジリと削がれながら、俺は朝から自転車を漕いでいた。

幼なじみの英理の家の前で、自転車を止めた。本日の目的地だ。
大きな家を見上げる。このあたりの家ではわりと立派な方で、裕福そうに見えた。英理の部屋には、ちゃんと専用のエアコンが設置されているし、受験勉強にはもってこいの環境だろうと、頭のなかで口実の復習をする。

ひょっこり顔を出した英理に、一緒に勉強しようぜ!と笑って言うと、不審人物を見るような目で、俺を見てきた。
あまり乗り気でない英理を言いくるめるのは、昔からの俺の得意技だ。不審がる英理をかわして、ちゃっかり部屋にあがりこむ。

英理とは幼稚園からの付き合いだ。
長い片思い期間を経て、最近ようやく男と女の付き合いを始めていた。
もうそろそろ1ヶ月だ。
俺は英理の様子をチラリと見た。

「なにから手を付けましょうか。朝の頭がスッキリしてる内に、数学をやるといいらしいわよ」

英理はテーブルに教科書と参考書を並べてあれこれ言っている。本気で勉強
すると思ってるんだろう。真面目なヤツだ。

「今日、お袋は?いねーの?」

「買い物だって。昼過ぎには帰るんじゃないかな」

俺はその言葉を聞いてすぐ、英理の両肩を正面から掴んだ。

「……な、なに」

英理は、タラっと汗を掻いている。英理の薄い唇しか、目には入らない。
ゆっくりと顔を近づけていった。

「英理……」
「ちょっと。なに考えてるの」
「だめか?」
「だ・め!」

近づく分だけ、英理は身体を引く。
唇が触れそうなギリギリのところで、英理は俺の口を両手で覆い隠した。

「俺は英理が好きだ。そんで英理は俺が好きなんだろ?間違ってないよな?」
「……まあ、その。うん」
「好きなモン同士が同じ部屋に居たら、どうなるか、わかるか?」
「…………さあ」
「まず、キスして。それから、服を脱ぐ」
「なっ!!!!?」

英理はようやく、男を部屋に入れた意味を理解したようだった。なんて無防備で、危なっかしいヤツだ。

「やることは1つなんだよ」
「ど、どうしてそうなるのよ!受験生なんだから、受験勉強に決まってるでしょ!」
「おまえ、男子高校生の性欲ナメんなよ」
「せっ……!」

英理は顔を真っ赤にして、俺の両肩を思い切り突き飛ばした。

「付き合ってるんだよな? 俺たち」
「清い、交際を……」

清い交際!実にすばらしい。それでこそ妃英理だ。鼻で笑いそうになる。

あーあ。俺が毎日3回オナニーしてるって言ったら、コイツどんな顔すっかな。しかも、おかずは大体おまえだよ。バカヤロウ。

「頼むっ! このとおりだ!」

俺は悶々とした感情を、額とともに床に押し付けて土下座をした。
非常に情けないが、心理状態はまさしくこんな感じだ。すこしも余裕がなく、予断を許さない。限界ギリギリ。もーほんと、色々と!!

英理は、早熟な周りの女の子たちに比べたら、大分ウブ、というかめちゃくちゃ遅れている。有希ちゃんみたいな大人びた女の子と一緒にいるから、余計にそう見えるのかもしれないが。

だからできるだけ、英理のペースに合わせてやりたかったのだ。俺は英理と付き合うときに、それを固く心に誓った。
付き合い始めてからの1ヶ月。その間のスキンシップは、手を繋いだり抱きしめたり、ちょこっと触れるだけのキスをしたり。
徐々に徐々に、柔道の組手のごとく、間合いを詰めてきたつもりだ。

誤算だったのは。少しずつ距離が近づくたびに、俺の健全な気持ちがどんどん悶々と膨らんでいったことだった。今朝なんて、ついに夢の中で……朝から家族に隠れて、自分で下着を洗う羽目になった。
このままでは爆発しかねないと思った俺は、『拒まれたらおねだりする作戦』に出ることにした。そして、英理にはこの手が有効なはずなのだ。

「ど、土下座なんてされても! もう少し待てないの? せめて卒業するまで……」
「卒業!!?」
「不純異性交遊は、校則で禁止されてるの。知ってるでしょ!」
「校則って……あのなぁぁぁ!!」

身体の力が抜けて、ガックリとうなだれる。
そんなの知ってるの、おまえくらいなもんだ。お堅い元生徒会長サマよぉ……

「規則は規則。でしょ?」
「その気がねぇんなら、男子高校生を気軽に部屋に上げたりすんなよな……」

頭を上げて、恨めしく言った。
卒業するまで……何ヶ月先の話だよ。コイツ、ほんとに俺のこと好きなのか?

エロの教科書によれば、女の性欲は花開くとすんごいらしい。大学生になった柔道部の先輩も言っていた。女は一皮剥くとスゴイぞ、って。
ほんとかよ? こんなカタブツ女にも、そんな欲求あるのか?
俺にはちょっと信じがたい話だ。

「(……せめてキスくらい)」
「なんですって?」
「抱きしめたい。それくらいなら、いいか?」

キスしたい、触りたい、エッチしたい。
俺はその言葉を飲み込んで、めげずにジリジリと英理に近づく。英理はベッドに背をつけて、慌てふためいている。

「顔、怖いわよ!」

さぞ鬼気迫る顔をしているんだろう。そりゃ仕方ない。
俺は顔が見えなくなるように、英理をギュッと抱きしめ、熱い耳に問いかける。

「……英理。校則さえ無かったら、お前は嫌じゃないんだ?そこだけは、ハッキリさせとこうぜ」
「それは……」

英理が、まだ嫌だというなら潔く待とう。
だが規則なんて、クソ喰らえ。そんな言い訳はまっぴらゴメンだ。
髪の甘い香りに、俺は頭がおかしくなりそうになりながら、鼻をうずめた。
もう本当に、自分が褒められるべき立派な紳士だと、壇上で表彰して欲しいくらいだ。

「……キス、くらいなら……」

「え、英理……!」

英理のか細い声が聞こえて、身体を離す。その顔は、恥ずかしそうに火照りきっていた。俺は、期待を込めた目で見る。
すると英理は、目を瞑って唇を差し出してきた。

「ど、どうぞ!」

桜色の小さい唇が、恥ずかしそうにプルプルと震えていた。
……なに、この可愛さ。ヤバくねぇ?

そう思ったところまでは覚えている。
気がついたら。可愛く閉じられた唇に、俺は舌をねじ込んでいた。

英理の母親が、部屋にジュースを持ってくるまで、ずっとだ。





***





翌日は、登校日だった。
久しぶりの制服に身を包んで学校へ行くと、窓際で憂鬱そうに外を見る幼なじみ兼恋人の姿があった。
真夏だと言うのにマスクをしている。英理は俺を見つけると、不機嫌そうに睨んできた。

「オウ。どうしたよ。真夏に風邪か?」
「…炎症したのよ。誰かさんのせいでね」
「ぶっ」

俺は、笑いをこらえ切れずに吹き出した。
唇って腫れるもんなのか!?皮膚薄そうだもんな。あんだけキスするとそうなるのかぁ……
「ちょっと見せてみろよ」とニヤニヤしながら言うと、英理は冷めた目をして、頬杖をついて再び窓の外を見つめた。

「……ご忠告どおり。男子高校生には今後気をつけることにするわ。しばらく近寄らないでよね」

俺はその言葉に、ボトッと鞄を落とした。
長い夏休みが、今日から折り返そうとしていた。




おわり