ヤキモチ

 

 

 

 

 月末の最終金曜日。小五郎は米花町の外れにあるフレンチ食堂へと向かっていた。
 時刻は21時。指定された時間はとうに過ぎている。小五郎が店の扉を開けると、カウンターの端の席で、妻の英理はワインを飲んでいた。
「私は、夫との待ち合わせで時間に遅れたことなんてないのよ。そういう無頓着で無神経な所が、あの人と合わない所なのよね。結局」
 店は空いており、英理は店の主人に愚痴を溢していた。カラフルなピクルスを摘んでいる。
「……あのねぇ。別に亭主に会うのが楽しみでウキウキだから、時間ぴったりに来るわけではないのよ。時間に遅れないのは当然の事でしょ? 予定を調整してるこっちが馬鹿みたいだと思ってしまうわ」
 英理の言い分は小五郎は全く腑に落ちない。そう思いながら席へ近づいていった。
「あら、お忙しい名探偵さんのお出ましね」
 責める英理の口調だが小五郎を見上げる表情には、ハッキリと安堵。来てくれてホッとしたと顔に書いてある。
 小五郎はちょっとだけ緩みそうになる頬を手で隠しながら、椅子へどっかりと腰を下ろした。
「約束した覚えはねぇがな」
 小五郎の言い分はもっともだ。小五郎の認識では、2人は約束をしていない。
 つい数時間前、英理は電話で耳触りの悪い小言を吐いた。「切るぞ!」と小五郎が怒りをあらわにすると。
「……そういえば、今夜7時に○○に行くわ」と甘い声で突然言った。「アナタ、そろそろ私の顔が見たい頃なんじゃなくて?」と。
 小五郎は言葉が出なかった。憤りと呆れと、心の奥底の渇望を見透かされた気がして。
「誰がだっつーの!」
 怒鳴って電話を切った。しかしテレビを見ても酒を飲んでも、あの英理の低い声が鬱陶しく耳の奥に染みついていた。──アナタ、私の顔が見たい頃なんじゃなくて? 小五郎を翻弄するために存在するとしか思えない女。
 ふざけんな。誰がお前なんかの。……クソったれ。
「アナタ何か飲む?」
「オレは酔っ払いの回収に来ただけだ」
「酔っていないし、迎えなんて頼んだつもりないわ。で、何飲むの?」
「飲みながらグチグチ言われちゃ酒が不味くなるんだよ。スイマセンなぁ、コイツが迷惑かけたでしょうに」
 恰幅のいい店の主人はケラケラ笑う。何杯目のワインだろうか。どうやら妻はこの店の常連客のようだった。

「……美味しかったのに一緒に食べられなくて残念ね」
 店を出て、歩き出した。英理の気配をなんとなく察知し、さりげなく腕を取りやすいようにしてやると、英理は素直に腕を組んでくる。
 言ったら殺されるので言わないが、少し酔ったくらいがちょうどいい。可愛いし。面倒くさい小言を長時間聞かされては萎えるし。美味しい所だけ攫うようで気が引けたが、機嫌はこの後たっぷり取ってやるつもりだった。
「私、ずっと待ってたのよ」
「そーかい。迎えに来てやっただろ」
「もうっ、あなたってどうしていつもそうなの?」
「そうって何だよ」
「最後に全部持っていく所! 私がして欲しい事なんて知ってるくせに飄々と知らん顔して!」
 して欲しい事、ねぇ。だからそれは今からたっぷり与えてやるつもりだ。それを知らぬ英理は、頬を膨らます。
「妻の様子が気にならない訳? 元気でいるか仕事はどうだとか、私と話すことなんて今更何もないって訳?」
「全部蘭から聞いてらァ」
「娘に出来ない話だってあるでしょう!?」
「ホー、ソリャどんな?」
「知らない。アナタが大学時代の後輩とドライブしていい雰囲気だったとか。行きつけのスナックでオンナを侍らせてたとか。女房と別居中だから~って口説き文句言ったとかって噂、私なーにも気にしていないわよ」
「……なるほどな。単に妬いたってだけ……」
「い〜え全然♡」
「痛っえな! 腕つねんな」
「あら失礼?」
 電話での小言とは違い、腕をぎゅうぎゅう組まれながら聞くそれは、ただの可愛いワガママでしかない。
「相変わらずうるっせえ女」
 そう言い、小五郎はまた口元を隠しながら緩ませた。