ピーポー……、というサイレンの音に、小五郎はふと目をあけた。どうやらごく近い場所で、救急車が停まったらしかった。
目をこすり、ベッドサイドの時計をみる。
まだ夜明けには遠い時間だ。普段は眠りの深いタイプであるのだが、今日は昼間に名推理を披露したことが、浅い眠りの原因なのかもしれなかった。
だが。一番の原因は、この寝慣れない寝室と、そこで寝息をたてている女房が原因であろう。
別居中の女房……英理は、いま小五郎の腕の中にいる。高層マンションの厚い窓ガラスでも小五郎が目を覚ますほどの音量だったにも関わらず、ピクリとも動かない。
向かい合わせに眠る英理の頬に、そっと指先でふれる。英理は寝付きはいいが、眠りの浅いタイプだ。少なくとも小五郎の記憶ではそうだった。どうやら相当に疲労が溜まっているらしい。それは日々の蓄積であるのか、さきほど小五郎が与えたものであるのかは、解りかねるが。
「……きれいだな」
見慣れたはずの小五郎さえ、思わずそう呟いてしまう。長いまつげ、スッと通った鼻筋、きめの細やかな肌。
「ま、口さえ開かなけりゃ美人だよ」
そんな苦しまぎれの条件を付して、ごまかした。そもそも寝顔なんて、もう見慣れちゃいなかった。
寝顔相手にならなんでも言えてしまう。きれいだとも。かわいいとも。普段は口が裂けても言えないような本音も。帰ってこいよ。側にいろよ。……愛してる。とも。
英理のおでこに唇をつけ、それらの言葉を呪文のように口にした。そして一人で照れて、たまらずに笑った。
俺は、なにをやってんだかな……。
ふと、視線を感じて寝顔から顔を上げる。ねずみ色の大きな瞳と目があった。
「うわァ!」
「ニャア?」
小五郎を見つめていたのは英理の愛猫のゴロだ。暗闇でまん丸な瞳に、こっぱずかしい一部始終を見られていたらしい。小五郎はいたたまれなくなり、声をあげた。
「見せもんじゃねーよっ」
ゴロはひょいっとベッドから飛び降りた。軽快に寝室を出ていく後ろ姿を、ったく……と見ていると、腕の中にいる英理が、色っぽく身じろぎをした。
「ん……アナタ?」
「起こしちまったか」
顔にかかる前髪をつまむと、英理はうっすらと目をあける。
「まだ夜だ」
外をちら、と見て言う小五郎に、英理は腕を伸ばし、ぎゅっと首に巻き付けてきた。
「まだ、帰らないで……」
その声はか細く、かすれていた。耳元で聞こえた英理とは思えない弱々しい声は、寝ぼけているのだと解っていても、胸のあたりが締めつけられるものだった。
「……べつに、帰ったって誰もいやしねぇよ」
だから今夜は泊まってるんだろうがよ、とポンポンと頭をあやしてやる。すると、すう、と寝息をたてる。
こどもみたいだ。
コレのどこが、法曹界のクイーンなんだか。あほらし。
腕にすっぽりと収まる細い身体。長い髪からは、女らしい甘やかな香りがする。
昔からそうだった。女王だのクイーンだの、なんでそんな、負けられない生き方を選んじまうんだかな。小五郎がそう苦言をいえば、選んでいないわ、周りが勝手に囃し立てるのよ。と英理は困ったように言い返すだろう。
けれども結果的に、まわりの期待以上の働きをする。なんでもないという風に、平然と笑って。
そのくせ誰にも見せないこんな顔を不意に見せるから、こっちは放っておけやしない。
また外では救急車のサイレンが鳴り出しはじめた。その音を遮るように、小五郎は白い耳に唇を寄せた。