『40歳の肌に、もう一度輝きを──。』
美容院で開いたファッション誌の文字が目に留まった。眼鏡を外しているせいで小さな文字は不鮮明にぼやけているが、有名ジュエリーブランドの見開き広告には心を惹きつけられた。
妙齢の男女が親密げに寄り添っている写真で、一粒ダイヤモンドの美しい輝きがモデルの首元を彩っている。そのフレーズも心に刺さった。
わぁ、なんてタイムリーなのかしら。
つい今朝、洗面所の鏡に映るすっぴんの頬を触り、肌の油分と水分を確かめるように撫でながら思ったばかりだ。……あら?ちょっと枯れてきたんじゃない?と。
肌の内から溢れ出る瑞々しい質感は損なわれたし、色白が密かに自慢だった肌はパッとせずくすんできている。
……でも、年相応よ?
貫禄ついて結構じゃない?
若い頃はそれが無いことが悩みでもあった。
「何を小娘が、小生意気に……!」と相手側の弁護士に憎々しげに罵られたこともある。だからいま、鏡の中の自分を誇りに思うべき。力一杯走ってきた40年の肌を戦友のように労ってあげたい。
「ハァ……」
けれど口から出たのは憂鬱なため息。
私はもうすぐ39歳になる。広告の男女は同じくらいの年齢で、この雑誌のターゲット層ど真ん中だ。完璧な二人の世界を築き上げている夫婦のように見えるのはそういうコンセプトだから。何年経っても変わらない愛情と、経年変化を楽しむ夫婦関係を象徴するダイヤモンド。
憧れるでしょう? そう言わんばかりだ。理想の押し売りだ。あーバカバカしい。
雑誌を閉じて台へ戻した。どうせ私は対照的よ。若い女の子にちやほやされ、デレデレを隠さないオジサンが私の夫ですよ。女好きで鼻の下を伸ばす、あのスケベな顔。思い出すだけでムカムカして青筋がピキピキ浮かび上がる。
「来週、御主人とデートですか?」
担当の美容師が軽快に髪をカットしながら聞いてきた。
「誰があんな……するわけないでしょう」
「あれ。確かデートの一週間前にカラーに来ることにしてるって、言ってませんでしたっけ」
「そんなこと言った?」
「来週は妃さんのお誕生日ですよね。カラーしたてだと匂いが気になりますものね。フフ」
「ウソよウソ!冗談!デートなんかしないわ。家族で食事するだけよ」
冷やかすように言われて、叩き返すように否定した。単なるお食事会で、髪の匂いを嗅がれるほどの距離まで近寄るとはとても思えない。
「お食事のあとはご夫婦ふたりきりとか?」
「普通に家に帰るだけよ」
「そうなんですか?」
「そうよ。当然でしょ」
けれど鏡に映る顔を見ると、頬が赤くなっていた。湧き出ているのは紛れもない期待感だ。
「いいお誕生日になるといいですねぇ?」
私の期待を見透かすように彼女は言う。
そうよ。……いいでしょ別に。
自分の誕生日くらい、期待しちゃダメ?
たとえ瑞々しさが失われてしまっても、いつまでも女でいたい。
期待は裏切られる為にあるのに、私は何も学習していない。
──バカみたい。と俯瞰する自分が言う。
美容院を出るといつも、気持ちは軽やかになっている。髪を切って頭が軽いからかもしれない。このままどこかへふらふらと出掛けたい気持ちになる。
先程の広告にまんまと釣られて、足は自然とデパートへ向かっていた。明治創業の大きな呉服百貨店だ。賑わう一階フロアに集まっているジュエリーのショーケースをゆっくりと眺めて歩いた。見ているだけで心がときめいた。
雑誌で見た一粒ダイヤモンドはすぐに見つかった。嫌みのない控えめな大きさだけれど、土台が個性的でしっかりしたものだ。石はカットに自信を持っているように光輝いていた。
ショーケースに指を添えていると、「よろしければ、お試しになられますか」と声を掛けられた。「ええ」と微笑んで頷き、お言葉に甘えた。縦長の丸鏡に映る上半身は、デパートの気合いの入った照明も相まって、確かに肌に輝きが蘇った気がした。
「素敵ね……」
自然とうっとりした声になっていた。
いただこうかしら。と買い物には塾考する私が珍しく即決しかける直前。店内の動線通路を挟んだ向こうにいる、背の高い男が目に入った。見つけて私は「あ」と声を漏らした。夫の小五郎だ。別居中の。
へえ意外。あの人がデパートにいるなんて。
夫は人付き合いを重んじるタイプなので、たいていの買い物は近所の商店街で済ます人だ。そんな彼がデパートに居るなんて物珍しくて、まじまじと見つめていた。5秒くらいだろうか。すると向こうもこちらに気がついた。
久しぶりの夫婦ご対面に「ったく、ツイてねえな……」と苦いお茶を飲んだような顔をされた。相変わらず失礼なひと!私も嫌な顔を作ってにらみ返した。苦手な女房と出くわしてしまって、さぞ不愉快なのだろう。……と思えば、何かを隠すようにさりげなく身体を広げているようにも見えた。
あらあらあら?怪しいわね。
女の勘で訝しむ視線をジーっと送り続けると、奥には小柄な女性が隠れていた。
「へーえ。そう。そういうこと」
女連れだから普段は来ないデパートというわけね?ふーんそう。ふーん……。睨んだだけで、少し離れた夫は唇を尖らせていた。女性とのデートを見られてばつが悪そうだ。
お相手は服装から察するに20代半ばくらいの女の子だ。華やかな雰囲気のかわいらしい子で、夫が好んで通うお店の女の子かもしれない。歳がかなり離れているのにデートに見えてしまうのは、素行の悪さのたまものだ。
「何か気になることがございますか?」
「……」
「お客様?」
呼びかけに気づき、黙って首の後ろに手をやった。金具を外してベルベット生地の上に丁寧に返した。
「本当に素敵ね。帰って主人と相談します」
家に帰っても主人は居ないんですけどね。ていうかそこに居ますけどね。女連れで。
私は怒り心頭になりながらも、和かに断り文句を言った。せっかく買おうと思っていたのに、良い気分にケチが付いてしまった。小五郎は言い訳でもするつもりか、こちらに歩み寄ってきていた。
「あのよ」
「あら。奇遇ですこと」そう言って奥の女性へ視線を合わせた。「……ねえ貴女大丈夫?このヘンタイオジサンに嫌なことされたら、いつでも手を貸すからすぐに言ってね」
「テメー…」
「それでは御免あそばせ」
私はツーンと顎を反らし、不機嫌さをアピールしつつ、人混みに紛れて建物を後にした。
秋晴れの爽やかな風。レンガ風の歩道に響くヒールの早いリズム。まあまあ。そんなに怒らないで?とイライラを宥めるように風は頬を撫でていく。ハロウィンの飾りが目立つ街並み。早いものでもう10月だ。
デート中の夫に出くわしても、彼のプライベートをとやかく言うつもりはない。和やかに笑って「お楽しみ中のようね♡」とまで言えれば完璧だった。後から自分が憐れな気持ちになるのでそこまでは、できなかった……けれど。
永遠の変わらない愛、か。
ええ……認めるわ。憧れるわよ。
だって私は結婚に失敗した女。
どうせ。輝きをお金で手に入れたところで、何年経っても変わらない愛情など手に入らない。あのひとにも夫婦を継続するくらいの情はあるのだろうけれど、私の求める愛情は違う。
ふと昔話を思い出した。大昔、これとそっくりなシチュエーションを体験したことがある。小五郎が女の子と一緒にアクセサリーを選んでいるときに、バッタリ出くわしたことがあったのだ。
それはつきあいたての大学生のころ。小五郎が女の子とデートをしていた現場に居合わせて、私は固まった。あの時は私もまだ素直で、嫌味を言って立ち去ったりもせず「ねえ、デートなの?……どうして?」と悲しみの表情で詰め寄った。そうしたら彼は照れ臭そうに「お前に何を選んでいいか、わかんなくてよ……」と包装された小箱を手渡してきた。
恋人が他の女の子とデートをしていたと思ったら、それは実は、私への誕生日プレゼントを買うためだったという。ありがちな展開だけれど、私は本当にびっくりした。
「聞いてくれればよかったのに」と拗ねて言うと「驚かせたくてよ!」と悪戯っぽい顔をして照れ笑っていた。
ああ、その思い出、今はせつない。
どうして今は、こうなっちゃったかな?
今日偶然目撃した、夫と若い女の子のデート現場だったけれど、時期的にまさかまた私の為のプレゼント選びだったりして……。と、甘えたことを考えて。バカ!そんなわけないでしょう!と淡い期待に慌てて蓋をした。
私はもう女の子じゃない。小五郎もあの頃とは違って立派なオジサンだ。他人に相談しなくたって女のアクセサリーくらい一人で選べる。
だからあれは、あの女の子への……。
そう考えて、歩みを止めた。
仲よさげにデートをする二人の姿を思い出すと胸の奥がジリジリとしてきた。
来週の10月10日の夜、家族で食事をすることになっていた。でも断じて、それに合わせて美容院の予約を入れたわけじゃない。お誕生日月の割引ハガキが届いたからだ。普段よりもいいトリートメントに変えたのは、『日頃の感謝を込めて10%オフ』につられただけ。
ツンと鼻につくカラー剤の匂いに包まれながら、そう自分に言い聞かせる。
期待を裏切られることには慣れている。大丈夫。何もない。私は何も見なかった。
だけど……、見たくなかった。ショーウインドウのガラスに映り込む顔は情けなく、唇の端は正直に持ち上がっていた。本当に何も、見なければよかった。
「!」
ブブブ、と鞄の中の携帯電話が震えだした。液晶を見て仕事の電話だとわかり、今度こそ気持ちを切り替える。
「はい妃です」
「──妃先生。休日に申し訳ない。明日の打ち合わせを延期してもらえないだろうか」
「ええかまいませんよ。いつになさいます?」
携帯を耳と肩で挟んで鞄から手帳を取り出し、ボールペンをノックした。
「来週の水曜日10日はいかがですか。お時間は申し訳ないが20時くらいになってしまいますが」
ええと、あいにくその日は……。と言いかけてクライアントからのリスケの提案にハッとした。良からぬ考えが私を誘惑してくる。
これ、受けてしまえば?
仕事が理由なら仕方ないし。
時間に融通のとれない方だし。
だって、それに、私……。
「妃先生?」
「……ええ。では10日の20時にお待ちしてますね」
携帯電話を強く握りしめ、先方の謝罪に「問題ありませんわ」と答えて、時間と名前を書き替え手帳を閉じた。
その流れですぐに娘へ電話を掛け、今度は謝罪をする側に回った。「ごめんなさい。仕事が入ってしまって……」と伝えると、蘭は落胆した様子だったが渋々納得してくれた。
電話を切り、罪悪感に心を重くしたが、同時にホッとしていた。小五郎は食事会のキャンセルを家に帰って聞き、何を思い、何を言うかが、手に取るように分かる。
「そっかそっか! おばさんと会わずにすんで、せーせーしたぜ!」
そう言うだろう。
先ほど会ったばかりで、その日のうちにキャンセルの連絡をした私の怒りを察しながらも、見て見ぬ振りをするのだ。
もし。もしも。万に一つも。プレゼントがあるなら、向こうから連絡をしてくるはず。連絡がなければお察しということ。
卑怯? 逃げてる? そうよ、悪い?
離れてしまった夫の気持ちを知りつつも、自分の誕生日に、わざわざ傷つきに行きたくはないの。そんな身勝手な私のことを、叱る人はどうせいないし。
その日の夜も、翌日も、その翌日も、夫から連絡は当然のようになかった。頭から追いやりたくて、仕事に没頭した。時間はあっという間に過ぎた。
***
「もう22時ですね。僕は流石にお腹空いてきましたが、妃先生、夕食は?」
「いえそれが、これからで」
「近くに知り合いの店があるんですよ。よかったら続きはそっちでしませんか」
誕生日の当日。普通に打ち合わせをして、クライアントからの食事の誘いを受けた。仕事に熱中しすぎるとつい食事が疎かになりがちで、打ち合わせ中にグーグー鳴っているお腹の音に気づかれたのかもしれない。バレました?という顔で笑ってみせた。
打ち合わせの延長となる食事だ。男性と二人きりでも、色気のいの字もない。それでもご一緒してよかった。誕生日の夜に一人でコンビニのパンをかじるなんて、よく考えたら侘しすぎるもの。
今日誕生日なんです。なんて勿論言わない。寂しい女として同情されるのはまっぴら。
打ち合わせと食事を済ませて店を出た。思いのほか肌寒くて上着を羽織った。
「では、また。失礼します」
「ご馳走さまです」と店の前でお礼を言って、あっさりと別れた。
チクっとした視線を背後に感じて振り向くと見たことのある顔があり、私は「あ」と声を上げた。東京は広いのに、どうして?
「……あら、またお会いしたわ。奇遇ね」
「ああ」
「今日はひとりなのね」
「……」
「何よ、その目」
「お楽しみのようで?」
小五郎はジト目で言った。私があのとき言えなかった嫌味を平然と言ったことに、頭に血がぐん、と上った。すぐに臨戦態勢になる。
「……ええ楽しかったわ。嫌味を言わない人と一緒だと、食事も美味しく感じるのよねぇ」
「あれが、どうしても外せない仕事か」
「そうよ」
「家族をほっぽってまで?」
「蘭とは週末会うわよ」
「フーン。ま、いいけどよ」
いいけどよ……って。そうでしょうね。誰と食事をしようが、私は関心を持たれない。
「念のため。誤解の無いように言っておきますけど、100%混じりけの無い仕事です。私はあなたとは違いますからね」
「知ってるよ。しかし可愛くねーな」
その言葉は思いのほか、グサリと刺さった。
「……は。今さらそれなの?」
バカじゃないの?という気持ちを存分に込めて言った。男性にハッキリと『可愛くない』なんて言われたら、いくらオバサンだって嫌なもの。密かに傷つき、そんな一言で簡単に傷つけられる自分もショックだった。仕事ならどんなに罵倒されたって傷を負うことなんてない。
彼だからだ。彼が特別だから。草臥れただらしのないオジサンなんかに痛めつけらたことが悔しくて、さらに感じの悪い態度になった。
「可愛い女性がお好きなら、さっさと乗り換えたらどう?そこら中にいるわ。あ、先日のデートのお相手なんていかがかしら?それとも、もう振られちゃってた?」
小五郎は渋い顔をしている。でも憎まれ口が止まらない。……わざわざ言ってもらわなくてもわかっているのよ。私があなたに愛されないのは、年齢のせいじゃない、って。
「愛嬌のある女性が好きなら、どうして私なんかと結婚したのかしらね。いい迷惑だわ」
質問というより、責任を押し付けた。
幼い頃からの付き合いで相性が最悪だとわかっていたはずなのに、彼はなぜか私を選んだ。若気の至り。お互いに器用にも素直になれないのに、惹かれあって茨の道を選んでしまった。それが今のこの状態。すべての失敗の元凶。
迷惑だなんて、かつての幸せな思い出にまで砂をかけ、ベッドの上で膝を抱え、今夜は激しく落ち込むことになるだろう。
小五郎は私の方へ向かって歩き出し、彼と私の肩がすれ違った。冷え冷えとした風が後れ毛を揺らした。私が小娘なら、泣いていたと思う。けれど私はそうじゃない。
「家は向こうじゃなくて?まさか、こんな時間から飲みに行くつもりなの?オジサンは若くないんだから程々にしなさいよ……」
別れ際の捨て台詞としていつものお小言を吐きながら、胸にぽっかりと広がる切なさを感じた。……寒いわね。と秋の肌寒さのせいにして二の腕を抱いた。小五郎はうるせー、と言ってそのまま消える。そのはずだ。けれど彼は一言ボソリと呟いた。
「……ホテル」
小さな掠れ声だった。聞き違いかと、思わず振り向いた。
「え?」
背中は遠ざかっていく。暗い街並みに溶け込んでいく前に、私は聞かずにいられない。
「ちょっと、ねえ、ホテルって言った?」
「……」
「どうしてホテルへ?」
っていうか、誰と……?
「……」
「そうよね。私には言えないか。名探偵さんはおモテになるんですものね。精々、楽しんできて頂戴」
ちょっと声が震えそうになった。妻の誕生日に他の女とホテル?そりゃあ、キャンセルした私も悪いけど……、だからって、あんまりよ。
靴のつま先が目に入った。いけない。そう思ったけれど、顔が持ち上がらない。だって、彼の背中を見送ることなんて、私にはできない。
「フン。勿体ねーから一人で泊まるよ。キャンセルしそびれちまってな」
「ど、どういうこと?キャンセル?」
「仕事仕事って、俺の女房は薄情な女でよ。人が、せっかく」
「え……、えぇ?」
ポケットに手を突っ込み小五郎は言っている。照れるような顔を見て、私は唖然とした。
ウソ、拗ねてる?それは今日のために、部屋を用意していた、ということなの……?
「……ウソ」
「はぁ?嘘だと?」
「だ、だってまさか、ありえない」
「どーいう意味だよ!? 俺だってなぁ」
「ウソウソ、だまされないわよ。どうせ口説いている女の子にフラれた代わりとか……なんでしょ?嫌よ!私にだって一応感情があるんですからねっ!」
ムカ、と小五郎の頬が引きつった。イラついたように歩み寄ってきて、はし、と強引に手を取られた。
「……そのおしゃべりな口閉じて、ちょっと黙って付いてこい」
真面目に言われて、びっくりして気が動転していた。ウソ、ウソ、と期待いっぱいに思いながら、胸が痺れるようにときめいていた。手を強く引かれ、その強引さに転ばないように足を動かすことで精一杯なふりをした。何も言えなくなり、私は言われたまま、素直に口を閉じるしかなかった。
***
米花プラザの部屋。部屋に入るまでの道すがら、そういえば今夜食事をするはずだったのは、この建物のフレンチだったことを思い出していた。彼はここぞというときにフレンチにつれて行きたがるひと。そういうベタが好きだし、私もそれを知っていたはず。でも彼がお誘いを掛けてくるなんて、思ってなかった。
部屋の灯りを抑えても、夜景でほのかに明るい部屋。なんと言っていいか……。この人と二人きりでホテルにいるなんて、ウソみたいよね……。とボンヤリと美しい夜景を眺めていると顔の横から、細長い箱が伸びてきた。
「ン」
「……わ、私に?」
「決まってんだろ。聞くなよ」
ツンとした言い方にムッとしながらも、その箱はあのデパートの包装紙につつまれていた。まさか。あの日デパートで選んでいたのは私へのプレゼントかもしれない?そんな期待は高まった。でも期待と裏切りはセットなので、心を落ち着かせて舞い上がるのを我慢した。
「何かしら」
開けてみれば?の言葉を待ってシュルル、とリボンをほどいた。箱を開け、目に入ってきた星のような輝きに息をのんだ。あのとき試着していた一粒ダイヤモンドのネックレスが、自信たっぷりに輝いている。
「あぁ、これ……。あぁ、…素敵ね……」
うっとり呟いた。手にとって夜景にかざすと、その輝きは涙が出そうになるほど美しい。
「ウソみたい……。あなた気づいたの?私がこれを欲しがってたって……」
「さーな」
「あの子と選んだの?」
「あのなぁ。あの子はたまたま知り合いで……、母親のプレゼントを買いてーって言うから、ついでにと思ってよ」
「ついで?」
「あ、いや。俺もたまには違う店に行ってみたかったし」
「どちらがついでかしらね。私?それとも彼女?」
「そんなのどっちでもいーだろ。高かったんだぞ?ありがたく受け取れねーのかよ」
「そりゃあ……?う。うれしい、けど」
「おう。それでいーんだよ。黙って首から下げとけ」
「……いいわ。本当に素敵ね」
ちょっと誤魔化された気がしたが、ダイヤモンドに免じて誤魔化されることにした。宝石の偉大さが身に染みた。
「飲み直すか」
「オホン、……そうね、少しなら」
慣れない扱いを受けて、緊張して喉が渇いていた。夫婦なのに、次にどう動くべきなのか忘れてしまった。だってベッドのある部屋で二人きりよ?恥ずかしくて、照れくさいじゃない?でも根底には楽しさがちゃんとあるみたい。
彼がルームサービスのメニューを眺めているあいだ、新しい宝物をウキウキしながら首に掛けてみた。黒いカットソーを着ていたおかげで良く映えた。顔の明るさが一段増した気がして嬉しくなり、控えめに聞いてみた。
「どう?……似合う、かしら」
「似合うと思わなきゃその値段出せねーよ……」
「もう。お金の話ばかりね」
「似合う、つってんだろ」
乱暴な言いかた。けれど小五郎は目を満足げに細めたあと、照れ隠しのようにメニューへ視線を戻した。欲張りな私は、あともう一歩の答えが欲しくなる。
「……歳をとっても?」
勇気を出して素直に聞いた。
「若い女にゃ似合わねえだろ。そういうの」
「そう、ね。ありがと。大切にするわね」
ぶっきらぼうな褒めかた。いつもなら“若い女”に突っかかって行くところだけれど、今日ばかりは嬉しくて、目をほころばせて感情を伝えた。小五郎は照れくさそうに頬をかいている。
……もうその顔、反則じゃない?可愛すぎない?私が何を考えているか、正直に言ってもいいかしら?
シャンパンなんか頼まなくていい。ベッドに腰を掛けてメニューを見ているむず痒そうな、可愛い照れ顔に触りたい。
そう思っている……。
私はいつも彼に不満を抱いているけれど、その不満がすべて愛おしさにひっくり返る瞬間がある。まさにそれがいまなのだけど。
……あなたはどう、かしら?
ベッドに座る小五郎の正面に立ち、手からメニューをそっと取り上げてテーブルに置いた。彼を見下ろしながら、おずおずと手を伸ばし、指の背で頬を撫でてみた。
こわごわと、触れるか触れないかくらいの弱さで遠慮しながら触った。こんな可愛げの無い私なんかのこと、たとえほんの少しでも、愛おしいと思える瞬間が、まだ……ある?
拒絶が怖いせいか、指はぎこちなく動いた。眉尻も下がっている。情けない。いい歳したオバサンが女の子みたいに勇気を出したものの、答えが怖いだなんて。
「英理」
彼は私の名を呼び、ぐいと腰を引き寄せた。「きゃ!」という間にくるりと体が回転してベッドに倒れ込み、上から見下ろされる格好になっていた。考えるより、言葉を発するより先に、一瞬だけ唇が落ちてきた。
ざわりと鼻下の皮膚にヒゲが擦れる感触がしてすぐに離れた。驚きと遠心力で目が回った。
「あ、あなた……?」
ウソみたい、と思った。あなたが私にキスをするなんて、これは、夢?驚きで目の中に涙が溜まってきて、視界がゆらゆら揺れている。
「……可愛くねーって言ったの、取り消すよ」
眉をしかめているのは不愉快なの?それとも、悔しいの?私を組みしく大きな身体、影の落ちている顔が真剣に見つめてくる。
取り消すって……つまり、どういう?
寝そべったまま首をかしげると、図らずも涙が一筋こぼれてしまった。
「お前……」
「あ、あら?」
「こら……。ここで泣くのは卑怯だろ?」
「だってビックリ、しちゃって……」
いつも不安に思っている。平静に、夫婦ですけど?という顔をしているけれど、あなたの心がどこにあるのか、知りたくて。
再び頰に触れて親指の腹で撫でてみた。影でわかりにくいけれど、その頰は熱くなっていた。照れてくれている、うれしい……。そう思って顔は自然と微笑んでいた。小五郎は自らの肩に顔を埋めてしまった。何だか震えて、何かを困っているみたい。
「あなた?」
「その顔、やめろ。……ムラムラしてくる」
「む、ムラムラ?何で……」
「……もういい。目も、閉じろ……」
今度はゆっくり顔が落ちてくる。もう少し赤い顔を見ていたかったけれど、近づく唇を見ていると瞼は自然と閉じてくる。
鼻と鼻が触れたところで止まった。近い。近すぎる。キスをするのかしないのか、鼻からの息を感じるくらいの距離を味わった。美容院を先週済ませておいて良かったと安堵した。下着は新調しておけば良かったと後悔した。
眼鏡を自分で外すのは恥ずかしいから外してほしいとか、部屋の灯りは付いていないが夜景で十分に明るくて、カーテンを閉めておけば良かった。……とか様々なことを考えて気を紛らわした。
すると両手がギュッと握られて、バンザイするみたいに頭上でまとめられた。かぁぁ、と頰が一気に上気した。ああ、それはダメ!
奪われちゃう。
夢中にさせられちゃう。
……忘れられなくなっちゃう?
ときめきと引き換えの恐怖を感じた。ときめきだけで済まされないのは、逆に歳を重ねて経験を積んだからこそわかる。小五郎はゆっくりと口を開けた。反射で目をギュッとつむると、はむ、と優しく下唇を含むように食べてきた。
な、な、なにそれ……。
全くキャラにない甘すぎるキスが意外で、恥ずかしくて頭がバーンと爆発しそうになった。あっさり私は、色っぽくもない「ひゃあ」みたいな変な声が漏れそうになった。そのくらい驚いた。はむはむを繰り返されると心も唇も気持ちが良くなってきて、唇がゆるく開いて吐息だけが漏れた。
あんな照れた顔をしていたくせに、こんなキスするわけ?……敵わないわね、もう。
悔しく思いながらも降参して、私も彼の上唇をはむ、と食べ返してみた。頭上で握る手の力がグッと強く込められた。ちょっとだけ反撃できたみたいで気を良くしちゃったりして。
願望のまま、身体に任せてしばらく夢中で求めてみた。唇を離して少し見つめ合うと、すぐに名残惜しくなってしまい、またとろけるみたいに唇を重ねあった。実際とろけた。こんなキス、忘れられないだろうな……。胸が痺れて、顔とか体に触りたいのに、手は頭上で固められている。どうしたって胸がときめく。
啄むような優しい触れあいが続き、久しぶりの感触に慣れてきたころ。体の芯がもどかしくなるような感覚になっていた。だんだんと激しく息が漏れるようになってきて、敏感な口腔内の上顎を舌でなぞられるのが気持ちよくて、「ふ」と「ン」の間の音のような、鼻にかかる甘い声が止まらなくなった。
呼吸が早くなって、体が火照って、うずく身体が自然とくねると、小五郎の手が脚を這い出した。スカートが容赦なくまくり上がる。私は今日、濃い色のストッキングを履いている。
「はぁ…、あ、ちょっと待って……。私……」
絡む舌を離して言うと、唾液が混じって顎のほうにタラッと垂れた。小五郎はそれを吸い取るように顎に口づけた。ちゅ、じゅる、と音を立てて、
「……なんだよ」
と不機嫌そうに彼は言う。脚に当たる股間が硬くなっていて、それをアピールするようにさりげなく押しつけてくる。私はまた、顔がかぁぁ、と熱くなった。
「ちょ、ちょっと、それ……」
「あん?」
「当たってるんだけど……」
「何が?」
「何がって……」
とぼけちゃって!……分かってる。私だって分かっているけれど。ちょっと待って。落ち着いて。一回シャワーを浴びない?だって仕事帰りなの。汗ばんでいるし、匂いも気になる。不安をなくして気にせずに愛し合いたいし、彼にだけは幻滅されたくないし……。
「ね。汗かいてるし……」
「ンなもんいーよ、いまさら」
「嫌よ。きれいにして頂戴」
「俺が汚ねーっていうのかよ?」
「そうじゃなくて……」
「じゃあ、何だよ」
「あ、ちょっ……」
イライラするように言いながら、指がつつつ、と内腿をなぞり、ストッキングの中心の縫い目をみつけた。獲物を捕らえる動物みたいに目が真剣だ。獲物は私?
おそらく下着は濡れて、ストッキングにまで侵食している。強引に指の腹で往復され、脚を閉じたい気持ちと開きたい気持ちがせめぎ合って、中途半端に膝をこすり合わせてモジモジとした。両手は彼の片手で固定されていて動かせずにいる。
幻滅されたくない……けれど、心地よさにきつく拒否もできなくて、弱い皮膚を布越しでなぞる指に身体がゆらゆら迷っている。迷う心につけ込むように、そこでキスまでされるともう、なにも言えなくなり、考えられなくなり、されるがまま身を任せた。
「ん……、ン」
ビクっと腰から全身が震えた。ヌメッと粘膜を這う舌に、キスの水音がいやらしく聞こえてきて、もういいかしら……このままでも……、なんて意志の弱い理性は弱々しく思った。力が抜けているとストッキングは素早く脱がされ、スカートのジッパーが下される音に、うっすらと目を開けた。
……暗いけど、明るい。電気は入口以外点いていないのに、遮光カーテンが畳まれたままだから、煌々としたビルの夜景に彼は照らされている。スカートが引き抜かれるときに手が開放されたので、そのタイミングで私はよろめきながら立ち上がった。ヒールを履いた下半身が下着一枚のみで露わになっているが、恥ずかしい格好のまま窓際に行きカーテンに手をかけた。
「……おい。何してんだよ」
「ううん、何でもないわ」
「そこでしてーって言うのか?よし」
「ち、違う違う違う」
小五郎がやる気満々で立ち上がって近寄ってきたので、背を向けたまま慌てて否定した。シャーっと、大きな二窓分のカーテンを閉めると部屋は暗くなり、ホッとして息をついた。
「いいわ」
「いいわ。じゃねえよ。……見えねえ」
「いいのよ見なくて」
「あ、そう……」
素っ気なく言いつつも、ちゅ、と首の後ろを吸われ、ネックレスをそっと外された。視界がないのに器用だなと思い、男性の大きな手にアクセサリーを外されるシチュエーションには、ドキリとさせられた。歳を重ねてからの方が、些細なことでドキドキしている気がする。私はきっとこのネックレスを外すたびに、彼との夜を思い出すことになる。……いやだ。私っていやらしい女ね?
その指がいやらしい指使いでお尻を撫でる。小五郎は惚れ惚れするような声で、
「なんでこんな、いやらしい形してんだよ」
ったく……。とか、ハァ……。とか、ため息を漏らしながら、丸みを確かめて不思議そうに言った。
「ふふ、やだ、やめてよ。そういう言い方しないで。オヤジっぽいわよ」
「俺は立派なオヤジだろ」
「そりゃあ、そうだろうけど……。あっ」
もう片方の手はお腹に触れ、素肌をくすぐるように肌を這う。ヒールを履いているせいもあり体勢が前のめりになるが、カットソーの中に入れられた手と腰まわりにまとわりつく手で倒れないよう支えられた。背後から密着し、お尻の辺りに硬いものがズリ、ズリ、と当て擦られて、強い主張をしていた。
「もう……。強調してこないでよ」
「なにが?」
「なにって。だから……その」
「ンー?」
すっとぼけられて、暗闇で見えないが、私の頰は真っ赤に染まっているだろう。もう仕方ないかな……。なんて思い、観念してシャワーを諦めてあげることにした。エロオヤジはやる気満々で、ここまで求めてくれるなら水を差すのは何だか可哀想だ。
ほのかな抵抗をやめ、目を閉じ、与えられる愛撫に集中することにした。飾りのないフラットなブラジャーの上から弱い刺激で触れられると、身体がビクンと反応する。喉が反る。反対の手で食道を上からなぞるようにされ、ごくんと唾を飲み込んだ。
焦らされてる?と思えば、二本の指はキュッと乳首を摘んできて「あッ……」と小さく声を上げた。コリコリッと刺激され、耳元に興奮したような熱い呼吸を聞かされている。彼は言葉では攻めてこないけれど、その興奮は充分に伝わった。自らの股間に刺激を与えるようにゴリゴリと押し付けてくるのだから嫌でもわかる。
わかったわよ……。とおねだりに仕方なく後ろに手を伸ばして、指を沿わせた。そこは驚いたようにピクン!と跳ねた。思ったよりも大きな動きで、その刺激を待ちわびていることがよく分かった。脱げばいいのに、小五郎はネクタイすら緩めない。私の着衣ばかり乱れていく。
指先で彼の先っぽを回し撫でた。彼は私の胸の先を摘んでいる。体の先端同士を愛撫しあい、はぁはぁ、とお互いの息は荒く熱い。
「あ、やだ……。こんな格好……」
右足の膝裏に手を入れられ、ぐい、と上に持ち上げられた。「……ホラ、もってろ」と荒い息で言われ小五郎は私の手を取り、自分で脚を持ち上げる格好にさせられた。割れ目のところに彼の手がかかり、下着の中に入ってくる。
ねちゃ。と音が聞こえた。卑猥な音が恥ずかしくて首を振った。下着を履いてなければ床に垂れてしまっていたかもしれないと思うほどに濡れている感触がした。
「ゃ……、ぁ、あぁ、ぁっ」
中指の先っぽが、入り口のザラザラしたところを優しくこする。ほんの弱い動きなのに体は激しく反応してしまう。ものすごく欲求不満な女みたいで恥ずかしくて、手が使えなくなって仕方なく、お尻を使って彼の股間を扱くように上下に揺れ動いた。
「……なぁ、英理。言っていいか」
「はぁ……、な、なにを?」
「笑うなよ?」
「わ、笑う?……ぁ、ぁ、ン」
「なんかお前すげー、可愛くねーか?」
「!」
首をのけぞらせた状態の耳にささやいてきた。ふざけてるの!?……かと思えば、
「な、何か急に言いたくなっちまってよ……」と言い訳みたいに照れ重ねてきた。そんな言い方、本当に思ってるみたいに聞こえるじゃない……。体がより熱くなって、性感帯が益々敏感になる。
「ウソよ、バカ。やめてよ……」
「ホラもっと可愛い声、聞かせてくれよ」
ぐちゅ、と音を立てて指がもう少し奥に入ってくる。グーッと壁に沿わせるようなゆっくりとした侵入なのに、小さな悲鳴のような高い声が絞り出てきた。
「や……!あっ、あぁっ、ッ……」
「中が吸い付いてくるみたいじゃねーか……。欲しかったんだなぁ。でも今更、言えねーよな。俺も」
「……、は、ぁぁっ……ぁ、ぁっ」
「……俺も、欲しかった」
グッグッと、中を押すような動きに悶えた。もう聞いてないと思って言っているのか、珍しく素直なことを言っている。でも、全部聞こえている。聞こえているからより感じてしまう。
ひときわ大きく体がヒクつくと、脚を持ち上げていられなくなった。そのまま絡み合いもつれるようにベッドへ倒れ込んだ。ひやりとしたシーツに背をつけて、「はぁぁ……」と長く息を吐きながらかみしめていた。こんなに気持ちよかったっけ……、うっとり思い、やみつきになったら、どうしてくれるのかと、どう責任を取らせようかと、考えていた。
「見えねーな。点けるぞ」
「……え、ダメ!」
「なんでだよ?見えねーんだもん」
「見なくて良いのよ!」
「別に弛んでたって気にしねーよ!反応が見てーんだよ。大事だろ、そーいうのは」
「たる……んでないわよ……失礼ね!」
「もういい、点けるぞ」
「ちょっとっ!」
カチ、という音がして、ベッドサイドにあるシェード型の小さな明かりがふたつ点いた。
「もう、バカ!……バカ」
遠慮の無い明かりに、慌てて布団の中へ体を滑り込ませた。小五郎は「お前な……」と呆れた顔をしている。スーツを着たままの人にそんな顔をされたくありません!
「あのな。俺だって同じだよ」
小五郎は明るいなか、ためらいもなく一人で服を脱ぎだした。擦れる布の音と共に肌の色が見えてくる。あっという間にすっぽんぽんになり、好きな体から目が離せなくなり、その引き締まった体をまじまじと見た。どこも弛んでないし、お肉も付いてない。見つめすぎて自分で照れて、唇を尖らせた。ずるい。
「ホラな?」
「……私はあなたとは違って、別に、若い子好きじゃないもの」
「まーだ言ってんのかよ」
「この間だけの話じゃないでしょ?いつもあなたってそうじゃなくて?」
「俺は別に美人が好きなだけで、年は別に」
「ふぅん?美人がお好きなのね」
「……はーあ」
布団をかぶって渋る私に、小五郎は自分の股間を見下ろしてため息をついた。直視できなかったけれど、角度は上向きにそそり立っているみたい。こんな会話をしていてどうして萎えないのか不思議でしょうがない。
「……消しなさいよ。それなら、しょうがないから、してあげても、いいわ」
「ヤだね」
「頑固ねぇ!」
「テメーこそ!」
こんな生殺し状態で夫婦喧嘩してしまいそうな雰囲気になって、さすがにそれは嫌で、でもどうしたらよいのか分からなくて、困ってしまった。ベッドの上で体育座りをすると、小五郎が隣にやってきた。油断も隙も無い人なので、布団をきつく握りしめた。
「なあ。旦那に裸を見られるのが……そんなに嫌なもんか」
「嫌っていうか……」
幻滅されたくない、だけ。あなたが私の何を愛してくれているのか、確証がない。変わらない愛情なんて信じていられない。私の嫉妬深さは、そんな自信のなさの表れなのだろう。だからすぐに妬くし、不安に思うし、可愛くない態度ばかり取ってしまう。
「ったく……」
「……だって」
「しょーがねえ。今日は誕生日で特別だ」
「特別?」
布団を体に掛けた状態で、隣に座る小五郎が布団の中に手を入れてきた。体育座りをしていたので、敏感な所に刺激が簡単に与えられる。
「あ!ぃやん♡」
「だぁぁぁぁもう!何がぃやん♡だ。可愛いんだよ、いちいち!」
「ウソよ、やめてよ、ぁん、もう!ソコは」
「その可愛い声聞いてるだけで、もーギンギンだっつの」
「ウソ、ウソよ、ウソウソ……ぁ、ぁ、ウソ、やめて、ソコは……、ぁ、ぁ、ぁ、ぁん!」
親指と人差し指で捏ねるようにされ、しこしこと動かれるとたまらない。小さな猫のような高い鳴き声が上がって、耐えるように、山になった膝に突っ伏した。するともう片方の手の指が中に侵入してきた。
「んんっっ!」
「ココ好きだよな?奥の手前んとこ。柔らけーし、早く挿れて擦ってやりてーし。可愛いお前の中に包まれてーよ。なぁ英理。愛してるぞ」
「ンーーーーっ!!」
いまそんなことを言うなんて、卑怯者!
根元まで入れられた指が曲がり、ずこずこと奥あたりを刺激してくる。震える体を丸めてきつい快感に耐えた。
「……顔見せろよなぁ、イクとこ見たい。可愛いんだよ。お前の顔真っ赤になってよ……」
伏せる顔の耳を愛撫するように攻めて言われて、遊ばれているのを知り、涙目で睨んだ。
「ウ、ウソよ、ウソ!ウソつき!最低!」
「ウソじゃねーって。もっと脚開けよ、良くしてやるから。な?大丈夫だって、可愛いから」
からかうような言い方で、脚の付け根をグイっと開かれる。「邪魔だな」と言って布団が剥がされる。ああ、やめて!という間も無かった。仰向けにされ、中心に顔が近づいてきて、指を挿入されたまま、敏感に固くなっているソコにキスするみたいに、はむと食べられた。
「あぁ、いやぁ……んっ、んんんん」
「ンー?」
「ぁぁ、ダメ、それぇっ、ぁぁぁ、ぁっ!」
ちゅうちゅうと優しく吸われ、奥をズンズンと刺激され、体を反らせながら、悶絶するように身体を固くした。ああもう絶対にイかされちゃう……。中心部に顔を埋めキスしているみたいなウットリ顔をしてる。イってもいい……?乱れる姿を見せても大丈夫……?奥の方に入れられた指が中でうごめいて、指の届くはずのない子宮ごと揺さぶられてるみたい。そんなにされたらもう無理、もう、耐えられそうにない……。もう、もう。
「ふぁっ、ん、んっ……ぅうっ、んッ……」
細切れの声が止まらない。小五郎は少し顔を斜めに傾けていて、本当にソコとキスをしているみたいな顔。スッと通った鼻筋が綺麗……。脚を開かされ大好きな男性の顔が自分の秘部にあるという光景に、奥の方から何かがせり上がってくる。そんなにされたら……私、私……!
もうだめ、と降伏することを自分に許したとき、バチ、と目があった。上目遣いの燃えるような目。そんなの、だめ……。
「あ……い、いくいく、いっちゃう、だめぇ…それ、だめ……あ、あ、あ、あーーーッ♡」
喜悦の極みみたいなはしたない声。筋肉の強張りが止まらなくなって、高いところから一気に降り落とされるように体が浮いた。
「……、ぁ……キ…ャ…!」と声にならない悲鳴をあげながらそれに耐えた。体はビクンビクンと大きく痙攣している。
目の前はぼーっとして、グッタリと横になって、快感と後悔のような後ろめたい感情が渦を巻いていた。ああ、イかされちゃったな……。乱れるところ見せちゃったな……。でもすごく、気持ち良かった……。頭もぼーっとしているけれど、耳だけはしっかり聞こえる。脚の間から「あー可愛い……こんちきしょー!」と聞こえ、どこに話し掛けてるの!バカ!と思ったけれど声が出せない。
こうも可愛いを連呼されると、嬉しいし、ホッとする。恥ずかしくても可愛いと言ってくれるなら、それは嬉しい。たとえ嘘でも。戯れの作戦だろうとわかっていても。聞きなれない甘い言葉が嬉しかった。嬉しくて胸がいっぱいで、余韻が気持ちよくて、愛おしくて、自分から脚を開いた。ゆっくりと震えながら。
「……き、きて」
「お、お、おう?」
小五郎はそこを食い入るように見ていた顔を上げて私の顔を見た。見ないで……、と思いながらも淫らな自分の格好を思うと、中心からどろりとした愛液が噴き出すように感じた。
「見ないで……。どうぞ、きて?」
小五郎は「よし」と体を起こして私の両膝を広げるように手をやり、挿入の体勢を整えていた。挿れられちゃうのね……。私はこの人の女なんだわ。法律でも苗字でもなく、肉体で強く実感させられる。
「言ってみな。どうされたい?なんでもいうこと聞いちゃる」
なんて調子の良いお誕生日特典が聞こえて、私は唾を飲んだ。あのぶっきらぼうな小五郎がここまで甘い顔を見せたのだから、10%オフどころのサービスじゃない。今夜は本当に特別なのだろう。何の気まぐれだか、知らないけれど……。もう二度とないことかもしれない。そう思うと切なくて、自分の中に隠していた願望が喉の奥からこぼれ出てきた。
「め、めちゃくちゃに……」
「エ?」
「めちゃくちゃに、愛して……」
恥ずかしくて顔が真っ赤になっていた。小五郎は驚いて、ウソだろ?という顔をしている。そうよね、私だってウソだと思いたい。20年も夫婦をやっている旦那にもう一度“激しく”愛されたいなんて、いまさら何を言ってるのかと。でも笑わないで。それが私の正直な願望。
「だって今夜は、特別な日でしょ?」
「……ああ。……わかった」
小五郎は茶化さなかった。低い声で言って、肉と肉をピタリとつけ、私を見下ろしていた。
恥ずかしいわよね?いまさらよね?羞恥心に負けて脚を閉じそうになったけれど、彼は私のお願いを聞き入れて、ゆっくりと入ってきた。
どう愛してくれるのか、ワクワクしながらその感触を全て頭に刻み込むように、五感を研ぎ澄ました。今夜のことを絶対に忘れたくない。
***
「──ねえ。少しは綺麗に見えるかしら?」
「──お前は宝石なんか無くたって綺麗だよ」
「──バカね。もう。恥ずかしいわよ」
「──本当のことだよ。愛してる、英理」
「……おい、おい、大丈夫か?」
心配そうな声が聞こえて目を開けた。
「……え。あ、あら……?」
気づくと私はベッドにうつ伏せになっていた。小五郎はその上に覆いかぶさっていた。性器は結合したままのようで、マットに押し付けられているお腹の中に圧迫感があった。身体中がびしょびしょに濡れていた。背にピタリと小五郎の身体が付いているが、ヌルヌルとよく滑っている。身体の外側も内側も。中をグリグリと押し潰されるような刺激に、開いた目がトロンと細まった。
「ん、ぁ…ぁっ…!ぁ、あ、あっ……」
そうだった。この動きにどうやら私は気を失っていたみたい。私は彼に奥まで突かれ、気持ちよすぎてもみくちゃになりながら、一瞬だけの夢を見たらしい。願望が具体化された夢だ。涙がこぼれた。
与えられる快楽で顔はぐちゃぐちゃ、今さら泣こうが気づかれないだろう。両手首が掴まれていて、奥を突く動きを止めてくれない。もう何度……。イってもイってもやめてくれなくて、中を押しつぶされて叫び、
「そこいや、突かないで……!」と懇願しても
「そうか。ココ、いっぱい愛してやろうなぁ……」と意地悪く言い、執拗に攻められた。背中から頭のてっぺんまで突き抜けるような快感が走り、それが終わらない。もう降参、征服され尽くして、私の口はうわ言のように「許して」と繰り返していた。
めちゃくちゃに愛してとは言ったけれど、こんなの……。癖になったらどうする?どう責任取ってくれるの?ゆるいスピードなのに、ずっと変な場所に当たっている。こんなの病みつきになっちゃう。あ、ほら、また……!
「……ぁ、ぁっ、い、いく……いく」
「く……。もう、チビっとしか出ねーな……」
小五郎は低く呻いて射精をした……みたい。より奥に届けるように腰を押し込んでくるけれど、私には出された実感も感覚もない。何回出されたのか数えることもやめてしまった。願望どおりめちゃくちゃにされた。お布団もめちゃくちゃに汚してしまった。元に戻せないかもしれない。お布団はまあ……、弁償すればいいけれど、私は弁償できるモノとは違う。慰謝料。慰謝料が欲しい。それはもちろん金銭以外で。
「どうだ、……はぁ、満足か?」
「……もう、じゅうぶん……、素敵、だったわ」
「ちょっとだけ寝たら、……またな」
「……バカ」
重い身体がのしかかってきて、私は後ろから抱きしめられて横向きになった。ぎゅーっと力を込められて、その力強さにまるで恋人の頃に戻ったみたいに錯覚して、幸せで胸がいっぱいになった。
またな、ですって。それって本気にしてもいい?またこんな風に抱いてくれる……?
そうだ。それが慰謝料というのはどうかしら。いい考えじゃない?
そんなバカなことを考えていると、重なり繋がったまま溶けるような眠りがやってくる。まどろみが余りに幸せで、後始末は目覚めた自分たちに託すことにした。もうすぐ夜明けの時間で、日付はもう10月11日。普通に仕事だ。体調不良で休みたい。
***
週末。蘭と誕生日のディナーをキャンセルしてしまった埋め合わせの会の日、私は身支度を整え、最後に例のダイヤモンドを装着した。
……まだまだ、女盛りなんだから。
私はそう鏡に映る自分を見て思った。
あのホテルの夜のあと。私は仕事を休むわけにもいかなくて、ベッドで高いびきをかいている小五郎の腕をそっと外して、早朝に一人で部屋を後にした。彼はひとり目を覚まして、ベッドの惨状に頭を抱えたことだろう。
最高に幸せな夜だった。あんなに求めてもらえるなんて夢のようだった。解放されたあとも、あの夜のことが忘れられなくて……ああ、恋しい。早く会いたい。とばかり思っていた。
彼も、そう思ってくれている気がした。
本当は蘭と新一君と三人のはずだった今夜のディナーに、小五郎は割り込んで来ることになったらしい。「まぁ。珍しいこともあるのねぇ」と蘭から聞いて意外そうに言ったけれど、ウキウキして仕方なかった。
鎖骨が綺麗に見える襟ぐりの、深い紺色のワンピースを新調した。靴とバッグの色も揃えて抑え、アクセサリーが主役に見えるようにした。合わせて服も買ったなんて、私は相当に浮かれているみたい。
だって場所が先日の米花プラザのフレンチと聞いては、そわそわせずにはいられないもの。
「わぁ……そのネックレス!すてきだね」
蘭は店の前で出会って早々に褒めてくれた。私が照れつつも褒めてもらったお礼を言うと、蘭は奥にいる小五郎へ向かっていたずらな目を向けている。
「お父さん、先越されちゃったねぇ〜」
「何がだ?」
「アレ、誰かからのプレゼントかもよ?」
父親を肘で小突きながら、焚きつけるようなことを言っている。
「こんばんは」
小五郎を見つめた。どう、似合う?と微笑みながら目で聞いた。小五郎は頰をぽりぽり掻いている。蝶ネクタイなんかを締めて正装している、私の可愛い旦那様。
「……だから、似合うっての」
「え?」
蘭が意外そうな声をあげた。
「ふふ。ありがと」
私が嬉しさを隠さずに言うと、蘭は事情を察したようで、頰をピンク色に染めた。
「う、ウソ!いつの間に?」
蘭の驚きに「うふふ」とだけ言った。
「予約した毛利です」
蘭が言うと、「3名様ですね。どうぞ」と案内をされた。私はてっきりもう一人来るものだと思っていた。
「今日、新一君は来られなくなっちゃったの?何か事件でもあったのかしら」
「違うの。お父さんったら『予算は3人分しかねーよ!』とか言ってね!」
「まぁ、ひどい。しけてるわね」
「あのなぁ……。おかげで金がねーんだよ。あんなバカ高けーもん買わされた挙句、ベッドのクリーニングにいくら払ったと……」
「ちょ、ちょっと!あなた!」
「あ」
小五郎はヤベ、やっちまった、という顔をした。口が軽すぎよ!年頃の娘の前で……!夫婦揃って愛娘に目をやると、蘭はメニューを開きながら、「クリーニングって?何の話?」と何でもなさそうに言ったので、二人でホッとした。幸い娘は何も察していない。彼氏に大事にされて、健全なお付き合いをしているみたい。
今日、新一君が居なくてよかった。彼なら私たち夫婦の会話を簡単に紐解き、呆れた視線を投げて寄越すだろうから。子どもにそんな目で見られたらたまったものじゃない。
おマヌケな夫を睨んだ。ワリィワリィ……、みたいな顔をしている。まったく……。
「プレゼントなんて、お父さんもなかなかやるじゃない!なんか変だなーって思ったのよね。最近寝言でお母さんの名前呼んでるんだもん。そっかそっか、そういうことだったのね」
「え?」
「はぁ?誰が」
「言ってたじゃない」
「バカ!言ってねーよ!」
「はっきり聞きましたよーだ!『可愛いぞ〜』なんて褒め言葉は本人にちゃんと言ってあげてよねっ」
「だ、誰がこんなオバサンを……」
「あとで動画送るね、お母さん♡」
「ヤメろ!」
「え、ええ……」
私は頰を染めてそう言うしかなかった。寝言だなんて、本当?その動画、とても見たい。ぜひ見たい。保存してコレクションに加えてリピートしたい。
「とにかく。両親がラブラブで娘としては、喜ばしいことです!」
蘭は嬉しそうに言い切って、ごちゃごちゃ言う父親を振り切った。それでこの話は締めくくられ、家族水入らずの食事を楽しんだ。
金欠だと言う夫は、きっと今夜は部屋を用意していない。どう上手く運べば、彼を自分の家に招く流れになるだろう。何度かシュミレーションをしてみたけれど……今日はもう誕生日じゃないから、甘えるきっかけがない。きっかけがないと、どうしていいかわからない……。
食事を終えて店を出て、少しほろ酔いで気分良く、建物の出口へ向かった。小五郎が唐突に「げ」と声をあげたので視線を追うと、ホテルのロビーに新一君が来ていた。少年はジャケットを着て正装している。
「どうも皆さん。こんばんは」
「こんばんは新一君。……ごめんなさいね、今日はウチの人が」
「いえいえ構いませんよ。これ、僕からです」
新一君は人差し指と中指でカードをはさんでいる。手品をするみたいな手つきで掲げて見せ、恭しく私にそれを差し出した。これには見覚えがある。このホテルのカードキーだ。
「お誕生日、おめでとうございます」
「私に?……どういうつもり?」
「お二人で好きに使ってください。僕からのプレゼントです。スウィートに免じて、どうか甘い夜を」
ウインクをして言う娘の彼氏に、どうリアクションしていいか困った。恋人の両親にホテルの部屋をプレゼントするなんて高校3年生とは思えない。なんて子。……さすが、あの有希子の息子。
隣にいる夫が渋い顔をした。私もおそらく同じことを考えていた。……昔話だ。門限の厳しかった私の父と小五郎の攻防。どうしても私と一晩を過ごしたかった小五郎は、一生懸命アルバイトをして、私の両親に温泉旅行をプレゼントしたのだ。
「……プレゼント、ねぇ……」
男の子の思惑を見抜くように見つめたが、彼はさすが、ポーカーフェイスを崩さない。
小五郎はどう思ったか、顔を見なくても分かる。珍しく私もそれに同意見。
「誰が、こんなヤツと!」
「誰が、こんな人と!」
その声は見事にハモった。息ぴったりに、フン、とそっぽを向いてみせた。ありがたいご厚意だけれど、男の子の下心をまざまざと見せつけられて、親として見て見ぬ振りはできない。私たちは娘が可愛い。気持ちは分かるけど、もう少し我慢なさい。
──人生は長いんだから。
「……あーあ!せっかく二人ともいい感じだったのに、新一が余計なことするから!」
「え、なんで?オレのせい……?」
「もー!」
新一君は蘭に責められて不思議そうにしている。まったくそう。蘭の言うとおり。余計な気回しをするから。
「新一君。せっかくだけど、それは有希子にでもあげて頂戴。私たちには無用ですからね」
「ハァ……」
新一君はまだ腑に落ちない顔をしてる。
「ほら早く、有希ちゃんに知らせてやれよ。俺はしょうがねーから……、英理を送っていくよ。言っとくが、外泊はしねーからな!」と新一君にしっかりと釘を刺していた。彼らの戦いは、相当に長いものになりそう。
私たちは二組に別れた。夫婦と恋人同士に。
「ったく、油断も隙もねーな……。アイツは」
「彼の気持ちが良くわかるのね?」
「男の考えることは一緒だよ」
「ふぅん……そうなの」
言い合いをしながらも、仲よさそうに去っていく二人を見ながら思った。私たちにも、確かにああいう時代があった。いまの私たちは、ああいう風にはなれない。
「しょうがない、って気持ちなら別に、送ってくれなくてもよくてよ?」
ほら。いつも通りの可愛くない私は、照れてそっけない言い方をしてしまう。昔はお互い文句を言いながらも、ああやって小突きあって一緒にいた……けれど。
「そーか?じゃあ一人で帰れよな」
今はそう言ってあっさりと別れてしまう。いい加減付き合ってらんねーよ、と思われている。寂しさを堪えて、ペコリとお辞儀をした。
「ご馳走様でした」
小五郎が足を踏み出し、彼と私の肩がすれ違った。風で後れ毛が揺れた。いつものように。
どうしたらいいの?
どうしたら望みが叶う?
深く思い悩んだそのとき、お辞儀した目の前が小さく光って見えた。
気づけば私は顔を上げて、彼の腕を掴んでいた。身体が勝手に動いて、まるで、ダイヤモンドの輝きに背中を押されたみたいだった。
「……あ。……あ、あの」
引き止めたものの、どう言ったらいいか思いつかなくて、困って、私は彼の蝶ネクタイをじっと見つめた。顔が見られない。熱が出そう。
「ええと……」
「お前な、その顔やめろって。ム……」
「……む?」
ムカつくの?それとも、ム、ム、ムラムラ?
「なんでもねーよ」
「い、言いなさいよ!ケチね!」
「ケチだと?お陰で飲みに行く金もねーのに」
「な、なら……。お酒ならウチにいっぱいあるわ……。飲みきれなくて困ってるのよね」
「それは……、もったいねーな」
「そうよ。困ってる……、困ってるの」
蝶ネクタイと会話していた私は、やっと顔を上げた。目が合った。頰を染めた顔に見下ろされていた。この顔、昔とちっとも変わらない。私のお誘いに照れているみたい。
できた。ちゃんと誘えた。ホッとして、嬉しくて涙目の笑みがこぼれた。
「……ふふ」
「だぁぁぁから!その顔がよっ!……ったく、今夜は外泊できねーから、パパっと済ますけど……それで文句言うなよ!」
「はぁ!?バ、バカじゃない!?」
「何期待してんだよ。酒の話かもよ?」
「もう、バカ!」
愛してる、とか、可愛い、綺麗だ、なんて今日は甘い言葉をくれない。昔のように必死になって私を求めてくれない。けど。
小五郎は腕を掴んだままの私の手にそっと指を絡めてきた。その手つきの優しさに、ドキッとさせられた。パパッと済ますとか言ったくせに……、反則じゃない?それ。
私は唇を尖らせながら、ゆっくりと握り返した。少しだけ何かが変わる予感がしていた。