バスルーム

トゲを刺すような冬の寒さ。
バレンタインムードの街の中を、私は一人歩いていた。


昨日雪を降らせていた空は、今は温かみのある赤い筋を作り、木々に積もる雪は太陽の赤い光を受けながら、神秘的に輝いている。

人通りの多い道でも、一歩を踏み出すたびに、ぎしぎしと心地よい雪の感触がした。



もうすぐ日が落ちる。


彼女はなるべく周りを見ないようにして目的地へと足を急がせた。

あたりマフラーやチョコレートなどが飾られているウインドウに、わざと視線を逸らしながら、目的地へと足を早めていく。



目を細めて見た太陽に、少しだけ眩暈を覚えた。










**







〜毛利探偵事務所3F〜




「遅かったじゃねぇか。」

「寒…ホント寒いわ…外…」
手に息を吹きかけながら、部屋に入っていく。
ここは探偵事務所のさらに上の階。
「電車で来るんだったら、迎えに行ってやったのによ」
「別にいいわよ……蘭は?」
「…昨日から、有希子たちのトコに遊びに行ってる」
「ロスに?いいわねぇ…」
「今日は…泊まってけんだろ?」

「ええ、久しぶりにゆっくりしていくわ」
厚いコートを優雅な仕草で脱ぐと、折りたたんでソファの上に置き、自分もその隣に腰をかけた。


最近2人は頻繁に会うようになっていた。
もちろん蘭が気を利かせて、毎回お膳立てする場合も多い。
反発しつつも、心のどこかで安らいでいる自分に、ときどき目を見張ることがある。

彼の気の許したような微笑みは、まるで自分を包み込むかのように、優しく…本当に穏やかで。
じわりと温かく、時折胸を締め付けるかのように苦しい。


まったくといいほど通うことの無かった私たちの心が、一瞬でも無防備になったそのときに、お互い戸惑い、どうしていいのか分からなくなってしまう。

…この気持ちの輪郭が見えはじめていることに、本当は気づいてる。
それでもまだ、そ知らぬ顔をしている私たち。

愛しい気持ちよりも、それに先立つ意地があった。



「ほれ、飲むか?」
「あら、ありがとう…」
差し出されたコーヒーカップを手に取り、少しずつ口にした。
手から伝わり、そして喉を通過する温かい温度。



「美味しかったわ…カップ、ここに置いとくけど良い?」
「あぁ。」


台所に掛けられた暖簾を、片手ですっと払いながら、スタスタと歩いてくる小五郎……
「ん゛っ!?……う、うわっ!!!」
「えっ…なな何っ!?」
台所から早足で歩いてきた小五郎は、足元に重ねて置いてあった本に見事につまずき、英理に覆い被さるようにして倒れこんだ。

「っ!痛って〜……」



体が倒れこんだのとは時間差で、黄色いマグカップがゴロゴロと音を立てて転がる。




「つ…割れてない?」
「あ?あぁ、危機一髪。」





「ちょっ…重いわ。どいて…」
「あ…悪い」
「!」
小五郎が身を起こし、顔を上げた瞬間、目が合ってしまった。
重なった体からか、吸い込まれるような真剣な眼のせいか、体の自由が利かない。
「……」
「……やだ…早くどきなさいよ…」
体の芯が熱くなるのが分かる。重なった体から、鼓動が聞こえてしまわないだろうか?
接近した体から、小五郎の…男の匂いがする。
そのたびに胸が高鳴り、揺らいだ瞳に気づかれないように、きつく瞳を結んだ。
仄かに顔を色づかせながら、耐え切れなくなって顔をそらした英理。

「…英理……」

「…あ……」

名前を呼ばれたのと同じに、小五郎は顔をゆっくりと近づけて唇を重ねる。
ゆっくりと唇を割り、中へと進入していく。

湿り気を帯びた唇同士が、長く深く、時には熱い吐息を漏らしながら絡みあう。


「ん……」



息が切れるほど英理の唇をたっぷり味わった小五郎は、英理の白い首筋に舌を吸い付けた。




「悪い…どうしようもねぇな…」
「…そう思ってるなら止めなさいよ…ったく節操無いんだから…」
「…止められたら苦労しねぇよ…」
「だからってこんなところで……床冷たいわ…」
「……」
小五郎は顎に手をやってなにやら真剣に考え込んでいる。
「…あなた?」
小五郎の目線が、私の顔と体を何度も往復した。
「…よしっ風呂入るぞ!」
間。
「……はぁ!?何言ってるのよ…!」
「風呂だ風呂!!冷えてんだろ??」
「い、いや別に…気にしないで」
「よし、行くぞ」
「え、ちょちょっと!!」






〜 B a t h r o o m 〜






「ちょっと!いいってばっ!!」
「あぁっもう動くなよ!じっとしてろっ!!」
じたばた抵抗する英理を隙をついてぎゅっと抱きしめると、ようやく英理はおとなしくなった。
「……嫌だってば…」
「いいから…ほら手、冷たいだろ…?」
大きな小五郎の手は、私を包み込むかのように温かい。
「じゃ…一人で入るわ…」
「それじゃ意味ねーだろ…」
「ちょっと…魂胆見え見えなんだけど」
「何が〜?」
「馬鹿…」



「ほら、早く脱げよ」
「いいから、先入ってて、ね?」
服のボタンに手を掛けたままためらう私の手を、小五郎はそっと退けさせた。
「一人で服も脱げないのかよ…お前は」
今更恥らいも何も…といった関係だが、やはり男とは勝手が違う。
寝るのだってかなり久方振りなのに、いきなり風呂とは…強引。
黒いカーディガンの止め具を器用に外す小五郎に、いろいろな思いが交錯する。
「う……うるさいわね」
抵抗しなかったのは、諦めからじゃない?
彼はそんな私の性格を、よく汲んでくれているようだった。
どこか行為に消極的な私は、あの頃となにも変わってはいない。経験がこの数年に増えた訳でもない。

「フロント?」
いつの間にかはだけた服の間から、谷間が覗いていた。
「…ううん、後ろよ……」
そう答えると、なんだか自分が不埒なことをしているような気さえする。
外しやすいように、彼の肩に手を乗せ、身を寄せた。
胸の鳴りがいっそう高まっていく…
それから音を立てずにホックが外され、胸元がやけに涼しく感じる。意味も無く私の肩に下がっているそれは、まもなく腕から抜かれた。

見られている。何も無い上半身を腕で覆いたい衝動にかられたが、重なった手のせいでそれは叶わなかった。
「っ…そんなに…見ないで…」
なんともいえない恥辱が、英理の頬を色づかせる。
突起した胸の先端と、顔が妙に色情的で、小五郎はしばらくそれに見入っていた。

綺麗だ…
小五郎は止まらずその硬くなっている先端をキスするようにして、口に含んだ。
温かく、柔らかく、滑らかな小五郎の舌が、先端を突付いたり、舐めまわしたりする。
軽く甘く噛みすると、熱い吐息と共に甘い喘ぎが口から漏れた。

「入るんじゃ、っ無かったの…?」
「なんだよ…そんなに風呂でしたい?」
「っ…立ったままよりは、マシだわ…」
「辛いか?」
「ぁん…力が…抜けちゃう…」
カクンと力なく崩れ落ちる英理の体を、小五郎の腕が受け止めた。
「…そんなに、良かった?」
「……///」
小五郎のフラットな背中に手を伸ばして、顔を埋めた。
「…じゃ、入るか…」




ざばぁっと音を立てて、2人はすっぽりと浴槽に浸かりきった。
「はぁ〜っあったかい〜」
体育座りのような格好で、自身を丸く閉じこませる。
そんな英理に見かねた小五郎は、耳元でそっと囁いた。
「こっ、ここで!?嫌よ。絶対イ…ヤ!!」
狭いし明るいし響くし…
「ぁあっ…!」
英理の静止も聞かずに、手を再び其処へ持っていった。
「あんだよ、やる気なんじゃねーか…お前こそ」
さっき散々弄ばれた所為で、しっとりと其処は濡れていた。無論、お湯とは違う湿り気で…
「っホント…ココでは駄目…狭いし……せめて上がってからに、しましょ…?」
「うるせえな…どこだって一緒だろ?」
「違うわよ…」
お願い。恥ずかしくて顔みれないから…私を誘惑しないで。
一端スイッチが入ってしまうと、私はもう止まらなくなってしまうの。
あなたは分かってる筈でしょう?
体が求める快感に逆らって、私の理性は力なく働いていた。
本当は拒む理由なんて無いのに、反射のようにあなたから逃れようとする。
彼はすべてを判っている。だから、止めようとはしない。
「……おい」
背いていた顔を自分に向けさせようと、彼は英理のほっそりとした顎を摘み、壊れ物を扱うような恭しい手つきで、キスをした。

水音すらしない。
密閉された空間では、2人の息づかいの他は何も聞こえてはこなかった。

英理は思考を一瞬手放し、彼の舌を受け止める。
何も、考えられない。考えたくはない。
果たして策略なのか。それとも彼の想いなのか。
私には判断できなかった。
ただ、できるなら夢を見て、そのまま酔ってしまえるなら…




英理は彼の背中をぎゅっと抱きしめた。
















〜 B e d r o o m 〜






「……寝んなよ」

冷たい彼の布団が気持ち良い。

「……」
「おい…寝たのか?」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「………はぁ」
「……なによ、その溜息は」
「なっ…起きてんならそう言えよ!」

「……何考えていたの?」
英理は閉じていた目をゆっくりと開ける。
「別に、なんにも」
「……そ」
適当な相槌を返して、ごろんと寝返りを打つ。
彼も私も、結局はその核心を求めてはいないのだ。
「お前は?」
「…多分、同じよ」
何も考えていないんじゃない。
考えているのはその先の何か。
彼も、私も。







RRRRR…RRR
「……はい。…あら、何かあったの?」
明らかに彼女の声色が変わる。
「………分かった。今から行きます」
ピッという音とともに、彼女は大きく溜息をついた。
小五郎に目配せをすると、申し訳なさそうに苦笑いを浮かべる英理。
「御免なさい。今日はもう無理みたい」
「いいさ。仕事なんだろ?」
よりによってこんな日に仕事を残していくなんて……ホントに馬鹿みたい。
こういうときに限って、つまらない野暮用に振り回されてしまう。

けれど、私たちは心のどこかでそうなる事を望んでいたのかもしれない。



「…そうだ。ちょっと待って」
自分のカバンから、長方形の四角い箱を探し当てると小五郎の胸に押し付けた。
「…はいどうぞ」

「なんだこれ?」
「もうすぐバレンタインでしょ?しばらくは会えそうに無いと思って…ちょっと早いけど」
「俺に?」
「他に誰がいるのよ」
「あ…あぁ」
「…なによ」
「いや…サンキュ」

小五郎は少し照れながら、英理の肩を腕に収めた。
何度も抱いた女だというのに、その時の気持ちはいつだって違っているのは何故だろう。

「…あんまり無理すんなよ」
「…ん…分かってる」


そして、再び火が灯らないように、短く口付けた。




「じゃあ、行くわ」
「あぁ…またな」
「ええ。…また、ね」















***







〜The starting point〜








バレンタインムードの夜の町を、私は再び歩いていた。
夕方通った道とまるっきり同じ筈なのに、その名残はほとんどない。
明るい夜道の光に目を眩ませながら、しっかりと歩いていく。

何故だか心は晴れやかだった。
…それでも、その裏腹に、まったく別の感情が疼いているのも知っている。
彼に抱かれた悦びか、それとも別の何かなのか、それは私には判らない。


箱を開けなかった事、後悔する日がいつか来るのだろうか。
ホッとした反面、どこか物足りなさを感じている私がいる。



それでいいと思う。まだ、今は。

たとえココがふりだしだとしても、それでも構わない。





心にじわりと染み込む温かさが、何よりも心地が良かった。
照らされた明るい夜道を歩きながら、穏やかな気持ちに包まれている。











暖色のウインドウを眺めながら、英理は柔らかく微笑んだ。




















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