夫婦でアダルトビデオを鑑賞する話





 テレビ画面が発する光が、隣に座る女房の顔を明るく照らしている。ボリュームをかなり絞ってはいるが、あきらかにソレとわかる女の声が聞こえ続けていた。
 英理はまるで証拠品でも物色するように、真剣に見つめている。小五郎はこの異様な光景に、内心で頭をかかえていた。

 ──どうして、こんな事に……。

「ねーえ? この離婚した元夫って、あなたがモデルなのかしら?」
 英理の感情の読めない声に小五郎が意識を画面に戻すと、スーツを着た女優が男優に後ろからまとわりつかれているシーンだった。
 小五郎は顔面をこれでもかと歪ませた。
 男は髪型はオールバックで鼻髭をたくわえているが、名探偵毛利小五郎のパロディにしては体格が貧相で顔も冴えない。これが自分のモデルと言われれば、顔をしかめたくなるのも無理ないだろう。
 女優は茶髪をアップにし知的な眼鏡を掛けている。その美貌は……なぜこんな仕事なんかを。気の毒に……。
 男がそんな安易で身勝手な疑問を抱いてしまうほどの美しさだ。女優はスーツを破るように脱がされ、美しい裸体を惜しげもなく画面いっぱいに晒していた。
 小五郎は英理のマンションを訪れる前に、DVDの内容に目を通していた。このシーンを目にするのはこれで二度目となる。
 ちなみに画面の二人は元夫婦という設定である。いまだに身体の関係がきれていない複雑な間柄として描かれており、ここまではちょっと過激なラブシーンの延長みたいなものだ。しかし本編はこの後。この女優は、これから複数の男に良いようにされることになる。
 『屈辱の女弁護士 法曹界の女帝』
 このDVDのタイトルである。
 英理はずっと真剣に画面を見つめている。どんな感情でみているのやら……、と小五郎は横目で表情を伺うが、英理は表情を変えない。例の過激なシーンにさしかかってもずっとだ。眼鏡のレンズに反射する肌色の裸体に、小五郎は目眩がしそうだった。
 およそ小一時間程の作品だった。英理は余韻に浸ることもなく、かといってショックを受けた様子もなく、淡々と立ち上がってディスクの取り出しボタンを押した。小五郎は英理のヒップを眺めながら呟いた。
「あのウブで可愛かった幼なじみが、こうも変わるとはなぁ……」
「え?」
 英理は振り返り、小五郎の顔をみる。英理が着ているセーターはくつろげるようゆったりとしたもので、髪型も普段よりも緩くまとめている。最近は見慣れない休日の妻の姿で、その手にはいかがわしい写真と文言がデカデカと書かれたDVDケース。小五郎の目には、あまりにもな光景だ。
「……人間、歳食っちまうと、ちょっとやそっとの事じゃ動じなくなるんだよなぁ」
「あら。真っ赤になって照れればよかったかしら? 私の感想はたったひとつよ。くだらないこと考える人もいるものだわ」
 それは小五郎も同意見だった。だが英理は、訝しげな視線で小五郎をみる。
「名探偵さんが、コレをどこでどう見つけたのか。今回は不問にしてあげるわ」
「へーへー……そりゃ助かりますよ」
 言い訳するのも反論するのも馬鹿らしい。 
「情報ありがとう。これ系に詳しい知り合いに、訴えられるか相談してみるわね」
「エ?」
 英理の言葉に、小五郎はソファから背を浮かせた。
「え? 何よ?」
「コレ訴えるのか? ヘタに話題にしない方がいいんじゃねぇのか。放置に限るぜこんなモンはよ」
「はぁ……? じゃあ何故、こんなもの私に知らせたの」
「それは……、いや、なんでだろーな?」
「まさか。ただ一緒に鑑賞したかっただけ、なんじゃないでしょうね。セクハラおじさん?」
「んなわけねーだろォ!」
 小五郎がこの作品を知ったのは、麻雀仲間からのタレコミだった。そいつはマニアの域に達しているスキモノで、茶色に紙袋に入れたソレを、密輸品のように小五郎に渡してきたのだ。「毛利ちゃん最近ご無沙汰だろ~?」とニヤニヤ笑って。
 小五郎は暇を持て余したある平日の昼間、子どもらが学校に行っている隙に、興味本位で見聞することにした。
 この種の物を普段まったく見ないという訳でもない。健康な男子。そこまで熱心でもないが、もちろん嫌いでもなく……。
 そう誰かに言い訳をするようブツブツ言いながら紙袋を開けたとき、やっとヤツの意味深な目の意味がわかったのだった。

 まったく。女房は、どえらい有名人になったもんだ……。
 
 小五郎はDVDを机上に置き、ちらりと見ては立ち上がり、落ち着かずにまた座ったりを繰り返した。
 確かに、似ている。髪型と眼鏡とメイクで寄せているのだろうが、それでもかなり近しい雰囲気がある。衣装はトレードマークの紫色のスーツ。まるでコスプレだ。おまけにタイトルや裏パケは、明らかに法曹界のクイーンという大層な肩書きを連想させる作りとなっている。
 小五郎はこの時点でホトホト嫌気がさし、再生ボタンを押す心が折れかけていた。だが、目をそらすのはポリシーに反する。探偵にあるまじき事だ。気持ちを切り替え、椅子に浅く腰をかけた。
 いざ映像を見てみると、写真ほどは似ていなかった。むしろ違うところが目に付いた。当たり前の事だが、小五郎しか知り得ない部分についてもそうだった。
 ホッとしたのか、それとも、確認したかったのか。複雑な心境だったが、行動は単純なものだ。脚は自然とこのマンションに向かっていたのだから。
 このDVDを見せるつもりは全くなかったが、すぐに発見された。英理に隠し事など不可能だ。

「あなたの感想はいかが? 少しは興奮した?」 
「イヤ……」
「……するわけ、無いわよねぇ。今更私に似た女性になんかに」
 英理の質問にぎくりとしつつ、平静を装ったのだが、英理はどことなく寂しげな声色で言ったので驚いた。
 しかも視線をおろし、小五郎の身体のある部分を一瞬見つめたので、小五郎は目をパチパチさせた。
 英理の言った事。そして、英理が”似ている”と自分で認識したらしい事が驚きだった。「全然似てないわよ馬ッ鹿じゃないの」そう蔑まれると踏んでいたのだ。この冷静さには恐れ入る。
「まったく……。こんなの、どこに需要があるのかしらね」
「あぁそうだよな」
 英理の鋭い眼光がキッと小五郎を刺す。不用意な発言に、慌てて言葉を重ねた。
「……世の男の一部には生意気な女を、こうしてやりたい願望があるって事じゃねぇのか?」
 小五郎はさっぱり理解ができないという顔で言う。もちろん、まったく趣味ではない。だが、男の生理が一度目の鑑賞で多少の興奮を覚えてしまったことが、かなり後ろめたくもあった。
 英理も、世の消費物は需要があるから作られる事を、わからぬ訳でもあるまい。普段どんな目で見られている可能性があるのか、もう少し自覚をしたほうがいいのだ。
 小五郎が伝えたいのはその一点のみ。それは昔から心配の種であり、あの忌まわしい誘拐事件が起こった後でさえ、英理にはピンとこない事実であろう事もわかってはいるが。
 その証拠に英理は「くっだらない」と一蹴し、まじまじとパッケージを見ながら「メイクと服装で誤魔化してるけどこの子まだ若いわよ? 私ってこんなにかわいい顔ではないわよ」などと暢気に言っている。

 英理が、場違いな微笑みを浮かべたすぐあと、カシャン、と床にケースが落ちた。

 まったくこの世はどうかしている。断っておくが、女優に恨みの気持ちなどは一切ない。むしろ同情心があるくらいである。だが……、思いついた人間、企画した人間にはそうもいかない。この企画会議の場でどんな話し合いがされたのか。想像するだけでにぎった拳に爪が深く食い込むようだ。
 その場にいた全員を、片っ端からきつい締め技で落としてやりたい気分だ。
「……反吐が出そうだよ」
 英理はとつぜん握られた手に、瞳を丸くして驚いている。その顔を見つめながら、苦々しい本音を漏らした。