90分後の店内にて



 その二人は店に入ってきた瞬間から何かが違ってた。男女とも長身で目立っていたというのもあるが、それだけじゃなく、場にいるだけで店の雰囲気がグッと締まるような。
「それはきっと、絵になる、ってことかもしれないね」
 マスター(おれの雇用主である)はそう言って、カウンターの中央席に座った二人にメニューを渡した。
 その絵になるカップルのまず目を引くのは女の方。トンデモ級の美女である。ツレはどんな…と隣を見て目が合った。ダンディな髭を蓄えた、ただ者ではない雰囲気の男で、どこかで見覚えのある顔だ。俳優かもしれない。
「ああ美味しい」
 仕事終わりの一杯の様にビールを飲み干した美女を、髭男は驚いた様子で眺めていた。美女はコースターに置いたグラスの脚に手を添え、顎をクッと持ち上げてこちらを見つめる。
「同じものをくださる?」
「……オイオイお姉さん。いきなし飲み過ぎじゃねぇの。普段ビールなんて飲まなねぇくせに」
「だってのどが渇いたのよ」
「すんませんオニーサン、このひとにチェイサーもらえます?」
 美女は顔をムッとさせ、髭男がくわえて火をつけたばかりの煙草を取り上げてグリグリと灰皿に押しつけた。
「おい、まだ……」
「あなたは吸いすぎだわ」
「べらぼうに吸いたくなるんだよ。一汗かいたあとは特にな」
「年がら年中すぱすぱ吸ってるくせに」
「しらねーだろ。普段の俺のことなんざ」
「見なくてもわかるわよ」
 ビールサーバを操作しながら背中で繰り広げられる会話。どうやら二人は喧嘩中のようだ。どうぞ、ときれいに泡を乗せたビールを置く。その隣にはチェイサーを嫌みのないように置いた。女の左手の薬指に指輪。
 また美女と目が合う。ありがとう、と理知的な目の形がほころんだ。髭男は自分の耳に指を当てている。
「まーだ耳がキンキンするぜ。あの音、いただけねーな」
「携帯のアラーム音のこと? あれ私はよく使うわよ。熱中して時間を忘れそうなとき便利でね」
「熱中、ね。興ざめなんだよ。ボクシングじゃねーんだからハイここで終了! ってワケにいかねーだろ」
「よく言うわよ。最初に時間を決めたのは、どこのどなただったかしら」
「しっつけーなぁ、謝ってやっただろ。愚痴があるならいま聞いてやってもいいぞ」
「謝ってやった? 聞いてやってもいい? 何様のつもり? 体たらくな旦那の愚痴でも聞いてくださるの」
「もういいのかよ」
「……」
「そりゃヨカッタヨ」
「何なのよその得意げな顔は。あなたのおかげよ、とでも言って欲しいようね」
「知らねーようだから教えとく。男はおだてりゃ木に登るんだよ」
「調子に乗ってどこまでも飛んで行って一生帰ってこないのよね」
「おまえな」
「じゃ、感想戦をはじめましょうか」
「するかバーカ」
 髭男はグラスを飲み干して空にし、こちらに目線をよこした。「水割り。濃いヤツね」とのことだ。
「──おふたりは、ジム帰りか何かです?」
 水割りを置いて話しかけると、ふたりはそろっておれを見た。その顔がまったく同じ表情で、その関係はすぐにわかった。どう見ても夫婦だ。顔を見合わせて意味深な笑みをかわした。
「ジムね……まぁ、そんなとこ、かしら」
「ちげえねえな」
「オネーサン肌ツヤツヤですもんね。美肌の秘訣は? やっぱり適度な運動?」
「そうねぇ。たしかに、スッキリはするわね」
「……ゲッホゲッホ!!」
「あらあなた、どうかした?」
「……煙でむせただけだ」